ベルメールの影響を受けて関節人形を作り始めた作家を紹介します。我が国では人形芸術というのが江戸時代からあり、江戸期には三つ折れ人形というタイプもあったのですが、基本的には抱き人形あるいは飾り人形(雛祭りや5月節句、博多人形など)が主体で、生き人形というのもあります。伝統芸術の一分野として確固とした地位があるのは、欧米のような玩具という伝統しかない文化とは大分、ニュアンスが違うのですが、伝統芸術とは、まったく違う分野から参入し、今日の人形ブームへの流れを作り出します。ベルメールについてはシュールレアリストで紹介します。

 注意すべきことは、70年代の後半以降、人形ブームが起きていることです。澁澤龍彦氏の唱えた「人形愛」も強く影響していると思われます。創作人形として関節人形に取組むのは、シモンや土井さんですが、当時の流行は、19世紀末のヨーロッパのビスクドールや江戸から明治にかけての市松人形を、コレクターが蒐集し始めます。今、横浜などにあるビスクドールを主体にした個人コレクションの美術館は、その当時、財にまかせて世界的に蒐集されたものです。かくいう私もその頃、少し人形を購入しました。このブームはおおよそ10年近く続き、その後、衰弱し、2000年を超えた辺りから、創作関節人形のブームが起きてきます。このブームの盛衰が先達者であるシモンや土井さんを苦しめることにもなったのです。

四谷シモン

 シモンは状況劇場の役者として最初に知ります。72年くらいに状況劇場を辞め、人形作家に転身します。シモンと同時に状況劇場は大久保鷹も去って、スター俳優を失う大騒ぎになるのですが、それは演劇の方で。シモンは芝居の中でも人形を使ったりしていましたが、特に目立つ人形ではありませんでした。ここにあるのは青木画廊で開催された最初の展覧会のために篠山紀信が写したものです。写真家は、シモンに被写体として強く惹きつけられており、写真家10人によるシモン展が開かれたのも、ちょうどこの頃です。私も行きましたが、お客はほとんど入っていなかった。写真集も発行されませんでした。
 シモンのこの頃の人形は、若さが溢れる入魂のもので、近年の涸れたような少年少女とは大きく異なっています。ただ、この頃の作品は、噂によると泥棒が入って多くが失われたといわれており、作品集にも掲載されていない。私が知っているものも、入っていないのです。
シモンは原宿にシモン人形学校を設立し、弟子を育てますが、人形ブームの衰退が、人形で食べていくことの難しさを痛感させられることになったのではないかと思われます。再び俳優として向田邦子作、久世光彦演出のTVドラマに医者役として出演することが多く、人形から遠ざかった時期が長くありました。復活は再び青木画廊でした。



下記の作品は初期のもので、左下以外は雑誌「太陽」に掲載されたものです。切り取って保管していたものなので号は分かりません。左下は黒の手帳の表紙社員です。



   

土井典(子)
このパンフレットは74年5月の展覧会のものです。この頃は土井典子と、まだ子が付いていた時代ですから、個展としては相当に初めの頃かと思います。澁澤龍彦の推薦文に「血と薔薇」以来の付き合いと書いています。血と薔薇には土井さんの作品は見当たりませんが、モリニエやベルメールの関連を助けているのでしょう。この太った目の大きい、球体へのこだわりを強く感じさせる、美しさとはズレた感じが土井人形の特徴ですが、最近の作品は昔の毒気が小さくなって、痩せた人形が大部分のようです。


この時代は、辻村ジュサブローが出て、華麗な衣装と糸操り人形で一世を風靡していた時代です。シモンや土井さんよりも、はるかに全国的だったことを付け加えておきます。

友永詔三
木彫作家として今は有名で、人形作家から少し離れたところにいるようです。


扇谷一栄
ネット上では何も見つかりません。関節人形以外のものとして掲げておきます。