■宮下 省死
 1969年19才の時に、舞踏の開祖故土方巽氏の振付による金粉ショーにてキャバレーデビュー。 その後様々な街路にて牛の生首を裸体の背に荒縄で縛り付けて踊る等の独自の舞踏活動を展開した後、1975年故土方巽氏の勧めに従い鼠派演踏鑑を旗揚。 舞踏と演劇が融合した怪奇と幻想の暗黒演劇を一途に上演し続け現在に至る。 (タナトス6通信より)

白桃房

1974年、芦川羊子、小林嵯峨の2人の愛弟子を中心とした白桃房が結成され、土方の演出・振付が本格化します。 土方は白桃房のことを暗黒宝塚と称していました。


 1971年の雑誌「話の特集」に川人忠幸氏の芦川さんと嵯峨さんを写したしゃしんがありましたので、珍しいので掲載しておきます。



芦川洋子                               小林嵯峨

 72年頃の芦川さんの素顔が写っている写真です。場所は目黒の稽古場なのでしょうか(雑誌「創」)。

 新宿アートビレッジから連続公演がスタートしますが、3回目でアートビレッジが火災に遭って使えなくなり、目黒の稽古場兼住居をシアター・アスベスト館に改装して使用するようになります。74年のことです。この連続公演は「鯨線上の奥方」76年で最後になります。この間に十数回の公演が行われます。芦川、小林の2人をメインにしていましたが、アスベスト館に移って間もなく小林嵯峨が抜けます。両雄並び立たずという印象でしたが、残った芦川さんの踊りは凄みを増していきます。土方の振付、芦川のダンスは暗黒舞踏の最高期を作り出したと思います。私も5,6回くらいは行ったと思います。見てない人間が言うのは難ですが、60年代の禁色、あんま、肉体の叛乱といった伝説的な舞台、ハプニングに満ちた舞台より、衝撃力はともかく、この時期の構成され、秩序立てられた舞台の方が完成度は高かったのではないかと思います。芦川さんがこだわるのも無理もないところでもあります。
 




鯨線上の奥方の芦川                        血と薔薇(上と同じく若い頃の写真)

白桃房以外のアスベスト館での公演

芦川洋子


上の3点共に羽永光利写真集「舞踏」から

この映像は何時のものなのか判別できません。題名も分りません。土方さんが振付を担当しているのでしょうが・・


石井満隆
暗黒舞踏の初期のダンサーとして、伝説化していました。長く海外にいて70年代の終わりに帰国して公演を行いました。詳しい内容はリンク先を読んで下さい。一部を引用すると、『1960年代に、その創始者・土方巽の三大弟子と言われたのが、大野慶人、笠井叡と、石井満隆。その中でも、特に「即興の名手」と名高いのが、石井である。精神病院(青森県西南病院)で、我国初のダンス・セラピ−にあたる「舞踏療法」(80年〜83年)を始めたのも石井ならば、かたや海外に進出した初めての 舞踏家としても知られる。その長い旅の始まりは、71年。片道切符と45ドルだけを手に、シベリア鉄道に乗り、モスクワ経由でロンドンに、以後、パリ、イタリア、オランダ・・、トルコ、インドまで舞踏の旅は続き、73年には、かつて欧州の前衛芸術運動 の根を育んだドイツの重要なコロニ−の一つであるヴォルプスヴェ−ゼで、前衛芸術家達と公演を持った。』(一部、略) このメンバー、大野さん、笠井さん、石井さんのどの人も土方さんの弟子という表現は??。この時代は互いに影響しあったパートナーであって、芦川さんや玉野さん達とは明らかに違います。以降、土方さんが突出した革新運動を行い、ダンスを第1級の芸術に仕上げたことは確かですが、他のメンバーも独自の道を歩いたのです。この場所が良いかどうかは課題ですが。
屋根の上の舞踏(美術手帳)

これは渡欧前の写真(映画評論)です。

                                     左は伊藤ミカ
暗黒舞踏哈爾賓派
土方の最初の弟子とされる玉野黄市は72年に、土方の下で暗黒舞踏哈爾賓派を結成します。この第4回公演は77年のものですが、72年と77年の間に第2回、3回の公演が見当たらないという、なかなか不思議な番号です。この前に、金沢舞踏館というのも、同じく旗揚げされており、この哈爾賓派の公演のダンサーにも名前を連ねています。ここいら辺の訳の分らなさは、この時代の好い加減さです。本の表紙を飾っている有名な写真は細江英公によるもので、土方が右の玉野に振付をしているものです。


中嶋夏
大野一雄さんの弟子であった中嶋夏は、60年代に土方の弟子でもあった時代があり、69年に霧笛舎を作って独立します。この公演は72年のものです。公演の数は多くありません。何年かに一度あるという感じで、この公演以外には行っておりません。人も入り、声がかかり、人気でした。踊りは暗黒舞踏そのものであった。76年にもう一度、土方の振付で踊っています。中嶋夏の活動は、活動歴をみると、80年代に海外公演を主体になっているようです。

無笛社時代Shades of Darkness

 下の写真は私は見ていないのですが、詩の朗読、人形とダンスをコラボレイトしたもののようで、台本:上野昂志、人形制作:佐藤三郎、詩:吉増剛三、音楽演奏:藤川義明、翠川敬基、そしてダンスを中嶋夏と矢野英征という構成です。
百鬼界「精霊棚」

 
矢野英征という人は私の記憶には浮かび上がってこないのですが、この後、フランスに渡り、コンテンポラリー・ダンスを産み出すのに重要な働きをしたようで、ヌーベル・ダンスの父と慕われていると言います。山海塾の進出以前にパリでは暗黒舞踏的なものが彼らの力で相当に地ならしされていたのでしょう。写真(CNDフランス舞踏研究機関「YANO」から)で見る感じでは暗黒舞踏というよりもモダン・ダンスに近い。


 ネットで情報を集めると、1985年9月東京赤坂・草月ホールで、グループMA[間]の舞台『鷹の井戸』(イェイツ原作)の演出・振付を担当しており、音楽や脚本は日本人ですが、出演は、ヨーロッパのダンサー&俳優と歌手、フルートとパーカッション演奏もヨーロッパの人たちだったようです。あまり大きな評判は起き無かったと思います。



小林嵯峨
77年に小林嵯峨さんが久し振りに土方の振付で踊りました。Oh!戻ったのかなと思いましたが、これ1作でした。嵯峨さんは87年以降、ソロ活動を開始し、踊りに傾倒していっているようです。芦川さんの方が最近では踊らなくなっているようです。


鼠派・宮下省死