山田一平「ダンサー」を読んだ感じでは、土方さんが、幻獣社結成以降、女性中心のダンスに移行し、その不満から、男性ダンサーが、麿赤児、ビショップ山田を中心にして独立した舞踏団を形成していったようです。それでもメンバーの土方さんへの尊敬の念は変わらなかったし、振付や指導を仰いでおり、土方さん自身も、男性ダンサーのハチャメチャなエネルギーを愛していたようです。

1972年麿赤児によって創設されます。麿は状況劇場のスター俳優であったので、何故、舞踏なのかと、私は思いました。土方さんの弟子であったことを知りませんでしたので、真似かと。
 その踊りの猥雑さは独特のもので、土方さんの周りが文化人で固められていたのとは対照的でした。洗練された美しさとは離れたところにありました。踊りと同じように非常にエネルギッシュに公演を行っていきます。

以降、たくさんの優れたダンサーを大駱駝艦の周辺から輩出、独立した新たな舞踏集団が結成されていきます。

あまり多くは見ておりません。

大駱駝艦

                    72年の最初の公演
当時、大駱駝艦に属していた山川三太さんの話が面白いです。

73年                                             74年
皇大睾丸
73年には土方巽の振付で「陽物神譚」が行われています。


陽物神譚

74年
新聞紙大の大きさの「激しい季節」は、先に見た燔犠大踏鑑とは異なり、評論家の賛辞ではなく、団員の意気込みで埋められています。時代の転換点をなすものになっていきます。私自身は大駱駝館の舞踏を評価できなかったです。エネルギーだけは認めていましたが・・・。

                                                                 74年
この2枚は毛色の変わったもので、公演を映画にしたもので、右は金魂鳥亜レジアン島八マタからです。

74年「男肉物語」

73年                                  76年
ジャズやロックなどのとの共演をしたものです。当時はこういう組合せもあったということで。