ビショップ山田が大駱駝館時代に結成した舞踏集団が北方舞踏派です。74年10月に結成記念「塩首」を公演、小樽・魚藍館を拠点として活動。このパンフレットは76年、山形県鶴岡市での公演です。

北方舞踏派の主要ダンサーであった雪雄子の経歴では、「寒さのために縮こまる」という土方舞踏の原点を体得するため、1975年から北方舞踏派と共に山形県鶴岡市の出羽山麓、1978年からは北海道小樽市を創作活動の拠点に、約10年を北国で活動する。1983年帰京。1984年土方巽演出「鷹ざしき」(北方舞踏派総出演)上演。とあります。

同じく大駱駝館の主要メンバーである室伏鴻によって76年8月に結成され、結成記念に「虚無僧」、77年7月に第2回公演として行われたのが、この「常闇形(ひながた)」です。

ここにある北龍峡というのは、私は行ったことがないのですが、北陸越前の東尋坊の近くに舞踏伽藍を建設したというものです。写真で見る限り田舎の大きな民家を改造したようです。入場料が1500円で1泊1000円というのですから、ザコ寝でしょう。

舞踏行と言い、
体術:七里術、山岳跋渉、吸気法・・
観念:胎内瞑想、白黙・・
装衣態:けもの、南蛮、断食、背面美・・
中身は連想できますが。
1974年大駱駝館の中心メンバーだったカルロッタ池田を中心としてアリアドーネの会が結成されます。74年に下記の北方舞踏派も結成されるように、大駱駝館にとっては、大きく翼を広げる年になります。

アリアドーネの会の初演「牝火山」は75年7月、第2弾は76年11月「青の空」、第3弾の「刺青」は77年10月と、年に1回のペースです。

アリアドーネ会は女性の舞踏手だけの集団で、エロスを売りにして、白く身体を塗りたくって素裸で踊るのですから、週刊誌や深夜のTV、映画で注目を集め、先輩格である白桃房よりも世間的には強く暗黒舞踏を印象付ける存在になります。アリアドーネの会としては年に1回の公演ですが、なんかいろいろ出演していたような・・

振付には麿、室伏、天児、田村の大駱駝館の中心メンバー全員の名前が揃っています。

私は、多分1回くらいしか単独公演は見ておりません。大駱駝館でも出演していましたし、見ている量としては結構あると思いますが。女性のダンスとしての境地を開くという面では、アリアドーネの会は今ひとつだったと思います。

アリアドーネの會
                                



背火





北方舞踏派


塩首のビショップ山田



福井県の北龍峡
背火と北方舞踏派の新人募集パンフ


Shades of Darkness

東方夜總會                    DANCE LOVE MACHINE

dance love machine


Shades of Darkness
大須賀勇の、やがて白虎社に発展する東方夜總會の旗揚げ公演です。読み辛いので中身を紹介すると、日時は6月27日、場所は吉祥寺曼荼羅、舞踏手として大須賀、蛭田早苗、エロチカデュオNo.9となっています。田村哲郎のダンス・ラブ・マシーンの旗揚げです。いずれも77年です。



山海塾
大駱駝館の流れで最も成功し、名前が知られたのは山海塾です。主メンバーであった天児牛大がリーダーとなって結成されました。結成公演は77年「アマガツ頌」、78年「金柑少年」が出世作になります。海外公演の高い評価から最もメジャーになり、CMなどにも起用されました。ビショップ山田からは、評価が高過ぎると書かれていました。

      
金柑少年