74年の独舞リサイタルには天照大御神への鎮魂の舞いと名付けられるように、物質と霊について、聖霊への意識が強く述べられています。自己犠牲による霊体の獲得、霊界への参入を意識したもので、笠井さんの目指そうとしたものが出ています。
表題ほどは日本的なものは小さく、あくまで神智学的なダンスを試みています。
土方さんが一方の雄であれば、笠井さんも一方の雄でした。土方さんが暗黒舞踏を唱え、地べたを這いずり回るような舞踏を創出したのに対して、笠井さんは天上を目指した舞踏を作り出そうとします。極めて対照的なあり様でした。

土方さんが常に、ある種、スキャンダラスで、異様で直接的であるとすれば、笠井さんはモダン・ダンスの正統性を維持していたように思います。シュタイナーを中心とした神秘志向が強く、濃く舞踏に反映させるものでした。

笠井さんはもともと大野一雄門下で、その関係で土方さんとも知り合い、65年の「バラ色ダンス」で共演、1972年、天使館の旗揚げ公演が新宿厚生年金会館で行われます。「三つの秘蹟のための舞踏会」には、笠井さん一門の神領國資、大森政秀、福原哲郎、江崎民雄等が参加しています。
この最初の旗揚げ公演を見て、一部に音楽に合わせてのダンスに不満を感じました。暗黒舞踏が踊りに音楽が合わせているのに比べて、これはどうなのかと思いましたが、やがてそんなことはないことが分りますが、私の気持ちは暗黒舞踏の方に偏っていきました。

天使館・笠井叡

                                   


76年

77年


73年                                            


74年                                           75年

75年伝授の門は高橋巌さんの公演と笠井さんの踊りをセットにしたものです。神智学への傾倒がより露わになっています。
75年には素戔嗚結び固め公演「黄泉比良坂」。ここでも神道的な要素よりも、神智学が強く出てきています。言霊・舞霊・降霊を笠井さんが神官として行う形になっています。神智学を踊りの基盤に置くダンサーは多いですが、笠井さんほどのめり込むのも笠井さん自身の特質であるでしょう。

78年1〜12月まで天使館にて「エーテル宇宙誌のための天使館における連続公演」が行われます。私も何回か国分寺の天使館で、稽古場の床に座ってま直に笠井さんの舞踏を見、感嘆していました。神智学に傾倒し、79年からはドイツに留学してしまい、85年に帰ってくるまで天使館は閉館してしまいます。帰国してからダンス公演があり、一度は見に行っています。ドイツから何かを持ち帰ったのか、どう変わったかでしたが、私にはあまり変わったようには見えませんでした。2002年に師の大野一雄さんとデュオを踊っています。

神智学は、キリスト教の、特にヨーロッパの神秘思想ですから、どうも今ひとつ分らない。壮大なる体系に則っているが故に、ある種、夢物語化していくのは避けられない。ダンスというのが、こういう神秘思想を背景にした構築物の中で位置づけられ、天上への道を開くのは分らないのではないですが、気持ちが付いていけないのは私が日本人的な感性だからでしょうか。

笠井さんが目指した踊りは、暗黒舞踏に比べてはるかに美しく、気持ちを押し上げていくものがあり、これからも大きな柱として生き残るでしょう。