Drama(アングラ演劇)

 この時代の最も活力のあった芸術分野はアングラ演劇です。数えることが不可能なほど大小の劇団が立ち上がります。75年の雑誌「新劇」(白水社)の公演記録を見ると、アングラ以外も含めて実に234の劇団があり、上演された公演表題数は433に上っています。これらには地方公演は入っておりませんし、関西などの劇団はほとんど入っていないのです。この段階で消滅したり、以降に立ち上がってくる劇団もあるのですから、いったいどれだけあったのか想像もできません。
 この中から次の時代のTV俳優も映画俳優、脚本家も演出家も出てきます。驚くべきエネルギーでした。アングラ演劇のスタートは年表によれば1965、66年くらいですが、世上に上ってくるのは68年くらいでした。私が眼にしたのはスポーツ新聞で、新宿花園神社で奇天烈な演劇が行われているという記事でした。ほぼ、同時期に渋谷に天井桟敷がオープンし、その奇抜な外装と、詩人寺山修司が何か始めたというものでした。当時は小劇場運動とも言われましたが、すぐにアングラ演劇が定着します。
 私が見始めるのは大学卒業後の69年です。最初に見たのは当時68/69と名乗っていた黒テントの前の時代の佐藤信演出の鼠小僧でした。圧倒的、完成された演出でした。次は唐のところ、天井桟敷の第一回ヨーロッパ遠征前は1回しか見ていません。題名は覚えていません。天井桟敷はヨーロッパから帰ってきた以降が中心になります。まぁ、沢山、見ました。当時は入場料も安かったし、混んでいたのは唐、寺山、鈴木忠志くらいでしたから。アングラ演劇の活況は既存の劇団に大きな衝撃与え、そこでも数多くの試みがなされていきます。その点はここではわずかに触れる程度です。
 当時のアングラ芝居は、菅氏が「戦後演劇」の中で書いていますように、、反近代を合言葉に、反逆性を身体で表現し、自らを河原乞食と称し、なんとなくいかがわしく、うすぎたないもので、良家の子女が見るものとは遠くはなれたものでした。ですから私の友人達のほとんどは興味はあっても見ることはほとんどありませんで、まして女の子はまず見ておりません。アングラ演劇の大きな特徴は状況劇場に代表されるようなテント芝居、あるいは移動芝居がほとんどで、全国各地を巡業し、それこそ場所さえあればどこでも演じたことで、その意味では既存の演劇が劇場やら公民館、ホールなどでしかできなかったのに比べ、地下室や喫茶・バー、風呂屋、倉庫、公園、街頭などで行いました。もしかすると都会よりは地方の方が見る機会が多かったかもしれません。ただ田舎では久しぶりに来た旅芝居という期待で集まった爺婆には、この奇妙奇天烈な演劇に、ただただ呆れ、口をぽかんとさせていたとか、怒りだした観客もいたという話もありました。

 アングラ演劇の活況は、70年代でほぼ終りを迎えます。一部はTVや映画、商業演劇などに呑み込まれていったこと、人気俳優のTV出演が劇団の運営を難しくさせ、脱退騒ぎが出てきたこと、先頭に立って頑張ってきた世代が40代にさしかかり、劇団を継承する形での世代交代が難しかったこと、破壊すべき既存勢力が崩れ落ち、彼らの訴えたものが、相当に実現してしまったこと等々、寺山修司の死(1983年)が幕引きした部分も相当にあります。アングラの熱狂は消失します。
 一般にはアングラ四天王を第一世代、つかこうへいが第二世代、それ以降を第三世代と言いますが、ここにあるのは第一、第二世代が主体で第三世代が少し顔出しをする程度です。ここには夢の遊民社や第三エロチカなど第三世代を代表する劇団は登場しません。ここに挙げられた劇団は私が見たものを中心に構成されています。このため一部には無名のまま消えたものも含まれます。他の劇団が何故、取り上げなかったかというと、単に私が見ていないというだけの理由ですので悪しからず。内容はチラシで構成して、一部、当時の雑誌などの写真を活用します。


はじまり      発見の会:上杉清文            劇作家=岸田戯曲賞を中心に
          変身:寺田柾                  (別役実、清水邦夫)
          ホモフィタクス:芥正彦           俳優達
アングラ四天王   
68/71(黒テント):佐藤信         
          天井桟敷:寺山修司            海外演劇の影響
          状況劇場(赤テント):唐十郎        アングラ演劇年表
          早稲田小劇場:鈴木忠志  //走狗:関口瑛
独立系       現代人劇場、櫻社:蜷川幸雄         辻プロ:内田栄一
          スーパーカンパニー:竹邑類         転形劇場:太田省吾
          青年座                   シアター夜行館:笹原茂朱
          結城人形座                 劇団創造:南川泰三
夢を繋ぐ      東京キッドブラザーズ:東由多加
          演劇団:流山児祥
          つんぼさじき:山崎哲
          錬肉工房:岡本章
          デラシネ:戸田孝治
          オンシアター自由劇場、電気亀団:串田和美
          不連続線:菅孝行             凶区:秦野春樹
          暫:つかこうへい
          斜光社:竹内純一郎             浮遊群げきば:星野共
より深く      中村座:金杉忠男              黙示体:行田藤兵衛
          魔呵魔呵:岡本秋象、生田萬        究竟頂:山川三太
          第七病棟:石橋蓮司            浪漫劇場:覚王
          天象儀館:荒戸源次郎           八幡船:弾十郎
          空間演技:岡部耕大            幻想劇場:江連卓
          日本:三原四郎              自動座:朝比奈尚之
          曲馬館:翠羅臼              花組:阿部良

          はみだし劇場:外波山文明         黄金劇場:島龍弘

 アングラ演劇の第一世代に共通するものは、演劇という枠組みを壊そう、中でも新劇的な舞台への否定は激しいものでした。天井桟敷、寺山さんの志向は中でも強く舞台空間自体を否定し、路上に出て行く感覚が強くありました。唐さんも自身を河原乞食と称しましたが、反逆と革命への気分は第一世代に共通するもので、第二世代以降はほぼ消えます。反逆の気分が収まった時に、アングラのエネルギーも消えていくことになります。

 人に言われて気づいたことですが、チラシを持っているといっても、全部、見た訳ではありません。ほとんど全部見た場合もありますが、数本しかない場合もある。 チラシがなくても見た場合もあることです。というのも例えば状況劇場の場合、初期はチラシがない。告知のほとんどがポスターだった。これは天井桟敷も同じです。 演劇の案内は、読書新聞の小さなコーナーに書かれたものしかなかった。このため名もない劇団は、状況とか天井桟敷といった有名劇団の開演時刻前に行き、並んでいる観客にチラシを配ったのです。このため帰りには10枚も20枚ものチラシを受け取ったものです。それをあまり捨てなかったということです。 もう一つは、場所の記憶にあるような新左翼系の書店やフォークやロックの喫茶店にぶら下げられたチラシです。隅に穴が開いているチラシはその手のものです。これは舞踏でも、音楽でも同じです。
 舞台装置についても訊かれましたが、劇団によって様々なのは当然ですが、予算が限られていたので、ありあわせの材料を劇団員が自ら製作していました。舞台衣装もそうでした。このため巧い下手が劇団によってあり、センスが問われました。天井桟敷や状況劇場のようにプロの若手芸術家(やがて有名になる)が手伝っているところは、今に残る素晴らしいポスターなどがありますが、他は言うほどのものはありません。早稲田小劇場は舞台作りは巧かったですし、蜷川さんも、やがて大劇場での演出をする以前においてもスケールの大きい舞台つくりをしていました。第二世代の代表であるつかこうへいの所は、ほとんど何もない。熱海殺人事件は机一つに椅子一つで、後は照明のみでした。本に自信があったからなのかもしれません。

 アングラ演劇に関して最近、書かれた物を読むと、見てないで資料だけ読むと、こういう論調になるのかというか、誤解が多いようです。唐十郎の「特権的肉体論」は大きな影響を与えますが、あの本を読んでアングラ演劇に参入した人はほとんどいない。彼の生の舞台を見て強く惹かれた人は多かったですが、理論ではない。蜷川さんでも唐さんの脚本、演出で突破口を開こうとした時期もあったくらいです。
 役者の肉体を表現の主力に置いたことはありません。あくまで演出家であり、脚本でありました。確かに状況を中心に怪優と言える様な役者が活躍しましたが、演出家が引き込んだのであって、引き込む際に、その個性を頼りにしたことはありません。あくまで演出家が俳優の個性を際出せて創り上げたのです。
 アングラ演劇は新劇の特徴の一つであったリアリズム演劇を超える形で成立していくもので、新劇的な臭みをとことん排除することがありました。

 長い時間が経つと、私がアングラに強く拘ったことは何であったのか分からなくなります。70年代前半の演劇年報を読むと一層、そんな思いに駆られます。この時代は能・狂言の世界では観世寿男・栄夫・静夫、野村万蔵・万作、歌舞伎では尾上梅幸、尾上松録、松本幸四郎、片岡仁左衛門などがおり、市川染五郎や坂東玉三郎、中村吉衛門が若手で注目されていました。この方々も既に孫に名前が継承されちますが。
 文楽では桐竹勘十郎、吉田蓑助・栄三・玉男がおり、新国劇では島田正吾、辰巳柳太郎がおり、若手で緒方拳が注目される。新派では花柳章太郎は死んでしまいましたが、水谷八重子は健在で、若手で波乃久理子が、前進座では中村翫衛門が、河原崎兄弟も出てくる。
 新劇では杉村春子、北村和夫、岸輝子、東野栄治郎、滝沢修、奈良岡朋子、宇野重吉がおり、若手で平幹二郎、江守徹、太地喜和子、市原悦子が注目されていました。松竹新喜劇では藤山寛美、曽我廼家明蝶が。
 この驚くべきほどの豊穣な土壌の上に咲いた花がアングラ演劇であったことです。彼らが死んでいくと演劇全体が地盤沈下していくことになり、次代への継承が約束されている歌舞伎を始めとした伝統演劇のみが生き残ったのが、今、2013年の状況です。