はじまり

瓜生良介氏の書いた「小劇場運動全史」によれば、演劇の革新運動は60年安保にまで遡るようです。63年に文学者の花田清輝氏からの「煽動」といっていいほどの新しい演劇運動の提唱に、瓜生氏らは、3つの演劇集団を合併により、64年に「発見の会」を立ち上げます。発見の会の名付け親は内田栄一氏のようです。「発見の会」の趣意書には、インターナショナルなひろがりと、未来のヴィジョンを指し示す、新しい「ことば」の発見と創造にありとされ、新劇というジャンルの中で固着している近代劇発想の打破、古典が古典として定着する以前の、激しい流動状態を現代の視点から照明しなおす等、述べられています。近代劇の演劇観を根底的に批評し、否定すること、自然主義とモダニズムをともに否定する現代的表現方法を確立することが、作家集団「鴉の会」結成声明にもうたわれています。作家集団には、先の花田清輝、井上光晴、いいだもも、広末保、松本俊夫、宮本研などの名前が連ねられています。アングラ演劇に向かう大きな一歩を発見の会が担ったのです。

発見の会   瓜生良介 上杉清文

世間的には、まったく注目されていません。公演は3回くらいのようで、チラシは最後のものです。この公演で解散しますが、当時の私は、まったくの予備知識がない中で、単にチラシを見て、面白いかなと思って行っただけです。その舞台の異様さは鮮明に記憶しています。
世の中に隠れていた、隠されていた異形なもの達が湧き出してくるような姿でした。観客は2割も埋まっていなかったのではないかと、仲間内がほとんどでした。3回目の公演の原作者であり、出演者でもある上杉清文は以降もアングラ演劇や、平岡正明、山下洋輔、筒井康隆らと共に全日本冷し中華愛好会を結成するなど、多方面で活躍していきます。

瓜生氏は、『「発見の会」と「状況劇場」が描き出す振幅の大きな軌跡が、この時期の演劇的楽しみと未来の課題がすべて包摂されてしまっている。状況劇場はウルトラ右翼、発見の会はウルトラ左翼。状況劇場とその亜流たちが演劇的制度の中で市民権を獲得していき、発見の会がいまだ無名性のもとでの再生と解体を繰り返しているのはウルトラ左翼こそが永遠につづく表現の宿命だろうか。』と書きます。左翼としての限界があり、発見の会の流れを引く黒テントや変身、菅孝之が率いる不連続線などでは、民音や労働組合に切符を回すなどしていたと言われ、純粋に集められた観客ではなかったという話もあります。

写真は映画評論より




この2枚のチラシは、一度、解体した後に、再結成された時のものではないかと思います。遂にメジャーになることも、世間的に注目される舞台とはなり得なかった。ただいろいろな意味で影響を与えたことは確かです。