自由劇場は68/71(黒テント)にも述べたように歴史のある劇団です。自由劇場ものがたりというHP(黎明期揺籃期)にリンクを貼っておきます。
 この劇団の歴史は、黎明期と揺籃期以降も長くあって、私が知っているのは、この時期しかありません。黎明期から始めます。
 66年に旗揚げ公演を行っています。当時の劇団には俳優座養成所を65年に卒業した佐藤信、串田和美、清水鉱治、吉田日出子、斉藤憐、村井国夫などがいます。その他、劇団青芸の観世栄夫が加わっています。彼らは新しい劇団の結成を考えますが、時期尚早として、佐藤信は劇団青芸へ、串田和美、清水鉱治、吉田日出子は文学座の研究生になります。
 自由劇場は、67年の佐藤信演出の「あたしのビートルズ」、斉藤憐作、観世栄夫演出の「赤目」を上演し注目を集め紀伊国屋演劇賞に選ばれます。69年には佐藤信演出の「おんなごろしあぶら地獄」の後、劇団6月劇場と演劇センター68/69を作り、演劇運動体として計画を掲げます。

 下の写真は佐藤信「あたしのビートルズ」という脚本書籍からスキャンしたものです。私がチラシを収集する以前のもので、見ておりません。

あたしのビートルズ                                                          おんなごろしあぶら地獄


                             翼を燃やす天使達

 その後、71年に自由劇場と6月劇場は一旦解散するのですが、68/71が黒テント公演に踏み切る前に、串田和美が吉田日出子を誘って古巣の自由劇場に戻ってきたのです。

オンシアター自由劇場、電気亀団   演出:串田和美
 これは73年の新劇に掲載されていた鼓笛と題された自由劇場のものです。自由劇場のどのあたりに当るのか、部外者の私には分かりません。

右上が串田です。

 本人にはどうなのか分かりませんが、串田和美の最も代表的な作品というと、 「上海バンスキング」であると思います。 最も売れ、最も評判になったからです。上海バンスキングは、79年にオンシアター自由劇場で初舞台、同年の紀ノ国屋演劇賞、 翌年、原作を書いた斉藤憐が岸田戯曲賞をもらいます。 記録的なロングラン、そして映画化もされます。主演の吉田日出子 はアングラの中ではよく知られた女優でしたが、以降、スターダムにのしあがっていきました。
 串田和美は、俳優座出身で、黒テントの前の自由劇場の旗揚げに参加する古参中の古参で、演出家という側面と演劇プロデュサーの側面があり、 後者の方が大きいように私には思えます。演出した作品の評価は一様に高いのですが、玄人受けする感じで、名前だけで観客を呼べる人気演出家とは言えなかった。それが上海バンスキングで日の目を見たように感じます。上海バンスキングのチラシがないじゃないかと言われそうですが、79年ですし見てないのです。

幻の水族館