この時代ほど戯曲が売れた時代はないでしょう。多分、断トツは唐十郎だったでしょう。非常に多くの演出家兼劇作家の戯曲が単行本となって出版されました。ここに取り上げる別役実、清水邦夫も同様です。この時代だからという意味は大きく、舞台と共に面白さを読者に掻き立てていたのです。
 下に取り上げたのは、当時、発行された同時代演劇の創刊号の表紙です。あまり長続きできず、復刊もしましたが、それも、数冊を出して終わりました。当時は分かりませんでしたが、黒テント68/71や自由劇場が主宰していたものでしたが、状況劇場や早稲田小劇場も多く取り上げられていました。劇団の公演の写真が最も残っているのは新劇という雑誌です。アングラ以外の新劇関係も掲載されており、同時代演劇ほどは影響力はなかったですが、それでもこの時代を通じて出版されており、貴重性は新劇の方が高い。右の写真は奇妙なアングラ芝居とキャプションがついているだけのものです。当時の世間一般のいかがわしさがよく表しています。

 

劇作家=岸田戯曲賞を中心に

当時、アングラ演劇系統と思われていた劇作家の岸田戯曲賞の授与者です。

第13回 1968年 別役実「マッチ売りの少女」、「赤い鳥の居る風景」
第15回 1970年 唐十郎「少女仮面」
第16回 1971年 佐藤信「鼠小僧次郎吉」
第18回 1974年 つかこうへい「熱海殺人事件」
           清水邦夫「ぼくらが非情の大河をくだるとき」
第22回 1978年 太田省吾「小町風伝」
第23回 1979年 岡部耕大「肥前松浦兄妹心中」
第24回 1980年 齋藤憐「上海バンスキング」
第25回 1981年 竹内銃一郎「あの大鴉、さえも」
第26回 1982年 山崎哲「漂流家族」、「うお伝説」
第27回 1983年 野田秀樹「野獣降臨(のけものきたりて)」
           山本清多「比野置(ピノッキオ)ジャンバラヤ」
           渡辺えり子「ゲゲゲのゲ」

圧倒的な存在感です。この頃の優れた戯曲の書き手は、アングラに集中していたことが分かると思います。ここで抜けているのは、69年の秋浜悟史、72年の井上ひさし、76年の石澤富子のみです。
 この中で演出をしていないのは、別役実と清水邦夫しかいないというのも、凄い話です。演出家と劇作家が分業しているのが当然だった時代から、シンガー・ソング・ライターのように、自ら戯曲を書き、演出も行うという形になったのです。岸田戯曲賞は、アングラが世間に認められる大きな一歩になりました。特に唐十郎は、その意味が大きかったように感じます。新宿花園神社でテント芝居をしているという当時としては破壊的な芝居が表の世界で評価され、優れたものとして認められたことは、大きかった。
 ここで注意すべきはアングラ四天王の内、今も評価が高い寺山修司や鈴木忠志が受賞していないことです。作劇法としては優れたものを持ちながら戯曲としては評価されなかったことになります。
 さて、別役実のアングラ演劇及び当時の演劇界やTVなどへの貢献を忘れることはできません。清水邦夫も初期は蜷川幸雄と組んでのものが多かったですが、以降は数多くの戯曲の提供者になっています。この2人を紹介しておきます。


別役実
 旺盛な作劇力は凄いものがあり、初期には早稲田小劇場や自由劇場と組んでの戯曲が多くあります。特に初期の早稲田小劇場との関係は強く、別役が抜けた後の早稲小が鈴木忠志の「劇的なるものをめぐって」で飛躍する前夜は大変だったようです。
 沢山の劇団が彼の戯曲を使って公演を行います。影響力は個々の劇団を超えて非常に大きかったし、既存の新劇にも多くの台本を提供しています。不条理劇と称されることもありますが、ベケットやイヨネスコに比べれば、はるかに軽やかさがあり、柔軟だと思います。別役の演劇とは何かは、私のような人間が語ることは到底出来ないので、ここではこの程度にします。



清水邦夫
 蜷川幸雄の「千のナイフ、千の目」に清水邦夫との出会いの話があります。脚本家のスランプや悩みに付き合う感じが分かります。清水邦夫といえばタイトルが長いことで知られていますが、本人、いわくわざとのようです。まぁ、当たり前でしょうが。清水邦夫の脚本から、あんな群集劇を作るのも凄いですが。
 菅谷氏は「清水邦夫が書き続けてきたものは、つねに時代のなかで闘い傷つき、倒れていく青年たちの物語」であると書いていますが、蜷川と組んでいた頃の作品群です。蜷川と別れて以降、少し時間が空いてから他の劇団や映画やTV作品で清水邦夫の脚本で演じられたようですが、残念ながら見ていないので分からないのですが、大分、変わっていったようです。



 さて、最後でもないですが、この当時の演劇、アングラとは何だったのかは、後世から見ると、ほとんど分からないのではないかと思います。同時代で自ら演出や評論を書いていた人達も、単なる観客でしかない私は論外だとしても、分からないのではないでしょうか。その一つの例をあげるならば、「同時代演劇」の第3号に女優論を特集しているのですが、驚くべきことに、水谷八重子などの女優論であって、当時の女優、李礼仙、白石加代子など誰一人として登場しない。写真すらない。そして書いてある中身が空回りしているというか、よく分からない。全然、当時の女優論にならない。同時代で進行するアングラ演劇と俳優達を評価できない。 取り上げることすら出来ない。ある種、雑誌の先見性がありながら、今、進んでいる状況を表現できない。むしろ新劇のような保守的な雑誌の方が、現在を表現できるようです。

 公演にはチラシ以外に檄文のような文章がついている場合がありますが、それも独りよがりの何を言っているか分からないのが大部分です。

 寺山さんのTVでのインタビューにあるように、反新劇という要素が非常に強くあり、日本の民衆劇、見世物や軽演劇、旅興行を主体にした大衆演劇を強く意識したというか、土俗性を蘇らせ、情念によって死んだ舞台、俳優を生き返らせることが大きなテーマであったように思います。明治以来の近代化の流れの中で抑圧された土俗の魂が復活を試み、それが一部では成功し、一部は再び地下に潜ったといえるのではないでしょうか。


 長い時間が経過すると、アングラ演劇とはみなされなかった人達のことも、いろいろ思い出されます。非常なる活況があったのです。 ここに取り上げた秋浜さんにしろ、井上ひさしさんにしろ、矢代静一さん、宮本研さんにしても、数多くの脚本、舞台があり、それぞれに頑張り、多くの聴衆を集めていました。やはり不思議な時代でした。これらの公演もいくつかは見ていますしパンフレットも長く保管していたのですが、このHPを作る段階でアングラではないと棄ててしまいました。 長い年月を経ると捨てたものも、この時代を表現する何かであり、この人達もアングラに強い刺激を受けて頑張っていたことを改めて知ることになりました。
秋浜悟史                    井上ひさし
 
しらけおばけ                          右から井上ひさし、加藤武、小沢昭一
テアトル・エコー公演「珍訳聖書」
アサヒグラフ1973.3.30

テアトル・エコー公演「日本人のへそ」右は熊倉一雄   五月舎「薮原検校」の財津一郎


八代静一
 この時期に『写楽考』『北斎漫画』などの戯曲で話題になり、高く評価されていました。
写楽考から 上段の役者は緒方拳、観世栄夫、下段の女優は渡辺美佐子

 新劇の歴史がアサヒグラフ1994.6.17号にありましたので、戦後の部分だけを取り出したのが下図です。離合集散はこういう芸術運動ではやむをえない部分ですが、70年前後に大量の劇団が、ここで取り上げた以外もあったことが分かると思います。これに新国劇も新派、そして歌舞伎もあったし、人形劇の劇団もいくつかありました。この時代こそが演劇の最高潮であったことです。アングラでこの図の中にあるのは、変身、自由劇場、青年劇場です。