ホモフィタクス・劇団駒場   演出:芥正彦

 芥正彦のことは、今はほとんど忘れられてしまったように思います。ここ何十年も、話題に上ったことがなかったように思います。70年前後の頃は、アングラ演劇の論客の一人であり、劇団を擁し、強い政治的なメッセージを発していました。三島由紀夫と東大全共闘との公開討論会にも、東大全共闘の一人として三島由紀夫と渡り合います。寺山修司といっしょに「地下演劇」という雑誌を発行しました。全共闘運動と共に消えてしまったのかもしれません。この間の事情は分かりません。
 彼の演劇は見ておりませんが、路上劇が主体でパフォーマンスとアジテーションで構成されていたのではないかと思います。演劇という枠組みが「常識」としていることを最も激しく拒否していたとあります。ともかく当時は有名であり、時代をリードし、時代と共にあった人です。私なんか傍にも寄れないような人でした。その一部は寺山修二、天井桟敷に受け継がれていったのでしょう。
 スタッフには懐かしいメンバーが並んでいます。音楽に、あのフリージャズの阿倍薫がいます。そしてヒッピーとして当時、最も有名であった安土ガリバーの名前もあります。




右円内は足立正生

雑誌「地下演劇」です。天井桟敷の公演や脚本、評論で占められています。

                   

 1998年にEaterというミニコミ誌に芥正彦氏のインタビューが掲載されていて非常に驚きました。忽然という表現がぴったりした消え方だったからです。その中で劇団駒場のことを昭和40年くらいに久世光彦が作った学生サークルだったこと、大江健三郎が書いていたようなものを上演できる学生サークルを作ることが目的だったこと、それを芥氏が「大学や劇場の外に持ち出し、喫茶店や路上で、体育館を借りて暴走族やロックバンドやジャズバンドを入れ、客席も何も区別がなくて、まぁ、空間都市ってやつで、寺山がそれに凄く嫉妬して、あいつがやる大祝祭劇を始める原因になっているかな。一番最初は1967年だ」と。
 これで身体を壊して肺気腫になって、その後、身体を直した後に活動(この中身は分かりません)があり、妻であった中嶋葵の看病や死(91年)を経験したようです。それを「あれは演劇の代わりにひとつのある劇場を作ったと思う」と言っています。
 中嶋葵は「私は芥に出会わなかったら、精神病院か刑務所か、どっちかへ入ったはずだから」と言ったとありますから、そういう人生を歩んだのでしょう。インタビューでは酒鬼薔薇の話やら権力構造の話などを語っています。

夫人の中島葵
 その後、また随分経ってから活動を再開しました。平成26年には東京芸術劇場で「アルトー24時」の演出をしているチラシを見かけました。下の画像は平成25年11月、ダンスの室伏鴻の「アルトー二人」の公演で出演したときのもの。右が室伏鴻です。年老いたですなぁ、他人のことは言えませんが・・。