天井桟敷  演出:寺山修司

 寺山修司は70年代のアングラ演劇の旗手であると同時に、時代のプロパガンダでした。 彼のアジテーション、書を棄てて街に出よ、家出の進めは、全国の少年少女に強い刺激を与えます。 このアジに誘われて、多くの若者達が天井桟敷に集結していきます。詩人として、TVなどの劇作家として彼は60年代半ばから有名でした。 競馬の評論までも行って、それまでのインテリにない大衆性から、独特のポジションにありました。 それが横尾忠則らと組んで、珍妙な建物(天井桟敷館、渋谷)を作って、何か怪しげな舞台を始めたという噂があり、スポーツ新聞などに取り上げられたのです。 当時のマスコミは、こんな胡散臭いものは報道しません。何しろ唐十郎は当時は無名でしたから、状況劇場もセンセーショナルで注目されたのですが、やはり寺山さんでした。 アングラ演劇の怪しげさと淫靡さは、独特で、当時は女の観客は少なかったくらいです。 状況もそうでしたが、天井桟敷も評判を聞いた有名人達が、こぞって見て、面白いとか、駄目だとか言うものですから、それなら我もと、観客が詰め掛けたのです。

1977年6月公演 毎日グラフより

日本零年(昭和精吾)                                   ブラブラ男爵(竹永茂生)

青森県のせむし男
 先にお断りしたように、初期の公演は私は見ておりません。これは海外向けのANGURAという、当時のポスターを集めた本から持ってきたものです。 紹介用です。あまり言われないことですが、ヨーロッパに天井桟敷が遠征(69年、フランクフルト国際演劇祭)する前、1969年以前と帰ってきて以降というのは、内容が様変わりしたと私は感じました。 69年以前は唐十郎の演劇とそれほど変わりなく、寺山の出身地である青森の情念の世界、サーカスや恐山のイタコ等が登場する極めて土俗的な、地を這うような、血の溢れる世界でした。 「田園に死す」という映画がありましたが、あの映画をもっと泥臭くしたような演劇だったのです。 渋谷の天井桟敷館は、すごく狭い、100人も入れないような、いつも押し合いへし合いの大混雑でした。 天井桟敷での公演は、69年以前が中心で70年以降は押し寄せる観客のために、より広い会場に移ります。常設の場所はありませんでした。


    チラシ
 昔の雑誌に及川正通さんの特集があったので掲載しておきます。


 ヨーロッパから帰ってきた時、天井桟敷の演劇は、情念を残しながらも、ヨーロッパの前衛演劇の影響を強く受けた不条理劇に変貌します。 役者の肉体を使った機械的な器具的なものを作り、それを組合わせ、性的、変態的なものを表現し、音楽劇の要素が強まり、シーザーのロック音と、名前を知らないのですがソプラノの高い声が演劇の中で重要な位置を占めるようになります。 光と闇、特に真っ暗闇の中で、音だけで感じさせる部分を、冒頭や劇の途中でも挿入し、観客の感覚を揺さぶるようになります。アジテーションが強化され、強いインパクトを与えたのです。
 少し注意していただきたいことは、寺山演劇は今日、一般に言われるほどには演劇人からは評価されなかったことです。演劇誌などに劇評が掲載されることはありませんでしたし、脚本が掲載されることも、ほとんどありませんでした。当時、唐十郎などの脚本は単行本になって販売されましたが、寺山さんはありません。脚本の力よりもイメージに直接、訴えたからかもしれません。あまり台詞らしくないところもあったからかもしれません。言葉の魔術師という言い方は寺山さんには合わないもので、言葉は短く呪術的なものであったように思います。



邪宗門(映画評論)

地球空洞説女優は新高恵子


盲人書簡

観客席


「奴婢訓」利賀山房にて



中国の不思議な役人


 寺山修司という人は、若い人を使うのが凄く巧い人で、若く才能のあると見込んだ人間をどんどん様々な分野に放り込んでいくところがあります。彼のイメージの世界が演劇だけでないいろいろな分野に出てくるところが彼の彼足る所以であったでしょう。音楽ではカルメン・マキ、小椋圭がおりますし、グラフィック・デザインでは当時は若手の横尾忠則、榎本了壱、映像の荻原朔美などなどが連なります。むしろ演劇界では当時、メインを張っていた役者では若松武ぐらいが有名で、籍を置いていたことがあるという人は何人かいます。寺山さんに殉じたような感じで、活動の様子は聞かなくなります。

最近写真集が出版されたようです。


 天井桟敷の公演の最後は1981年、「百年の孤独」になっています。また寺山修二の最期の演出はレミングだそうです。散々な評判でした。もう病気が相当に進行し、本人は寝椅子に横たわったまま演出、指導をしていたと聞いています。寺山、老いたりとも言われ、本人も演出以外の方に行きかけていたと思われます。
 これは映画の田園に死すですが、寺山ワールドをよく現しています。

 身毒丸は最後に近い頃の作品です。劇場で見ていた感じと、こうやってビデオで見ると随分。異なります。情念が前面に出ていて、もう少しモダンというか、現代性が強くあったはずなんですが・・・。

 これは白石加代子と藤原竜也のものですが、一応、紹介しておきます。

 天井桟敷及び寺山修司の演劇は、映像とのコラボレーションが、初期の頃から繰り返されます。 映像の方も参考にしてください。イメージで煽動する面が強くありました。

 83年に寺山さんが死ぬと、劇団は大きく動揺、分裂に近い騒ぎもありましたが、シーザーが「万有引力」を立ち上げて、後継者として名乗りを上げます。 見ていないので評価はできないですが、旗揚げ当時は、いろいろ言われましたが、今日まで公演を続け、天井桟敷をはるかに越える年月、組織を維持していることは驚異的なことです。