早稲田小劇場  演出:鈴木忠志

 この下の写真は唐十郎の脚本の「少女仮面」です。早稲田小劇場が初演で後に状況劇場で演じられるようになった幻の公演です。 右は白石加代子、左は吉行和子です。ただ、この上演は評判にはならなかったように思います。 見てる人は関係者しかいないのではないかと思います。劇的なるものをめぐってU」が当り狂言であり、早稲小の代表的な舞台になります。


 「劇的なるものをめぐってU」の公演興行がNo.11になっているように私が見に行った70年頃には既に初期の舞台は伝説になっていました。この狂言で白石加代子を主役に抜擢、以降、主演女優として、その桁外れの演技でアングラ演劇の女王の一人になります。
 早稲田小劇場は大学に入っていく路地の喫茶店の2階を稽古場及び公演の根城にしていまして、天井桟敷よりも小さいスペースの公演でした。 76年に富山県の利賀村に拠点を移すという離れ技をやり、泊りがけで行くほどの気持ちにはなれず(当時はサラリーマンでしたし)、東京での公演に絞られます。従ってここには利賀村の公演のパンフはありません。
 早稲田小劇場は他のアングラ劇団と比べると、劇団員の数はそれほど増えなかったように思います。 白石加代子は早稲田小劇場、鈴木忠志にとって極めて大きな存在でした。彼女の演じる強烈な個性が劇を引っ張り上げ、演劇そのものを支配していました。もちろん小野碩や独立する関口瑛など、注目される演技者はいましたが、地味でした。演劇としての完成度は非常に高く、歌謡曲を劇中で使うなど、大道具の使いこなし方も雰囲気を作り出す上で優れ、観客を引き込む力がありました。利賀村にもたくさんの観客を集める力は圧倒的です。



鈴木忠志「内角の和」
劇的なるものをめぐってV


 この下の画像はアトリエNo.1という芝居で演出が深尾誼となっています。 写真には白石加代子もありません。早稲小には、こういう試みもあったのです。


                                      ホワイト・コメディの観世栄夫と白石加代子
鈴木忠志「内角の和」




ドン・ハムレット                                      夜と時計   深尾と豊川



 早稲小は72年、フランス・パリ世界演劇祭など何回かの海外公演を行い、高い評価を受け、その国際的な声望が早稲小のステータスを高いものにし、岩波ホールでの第一回公演に結び付けたと菅氏が書いています。岩波のトロイヤの女の公演で、白石加代子は観世寿夫、市原悦子という当代一流の役者と顔を並べ、アングラ演劇の一女優から大女優へと飛躍するのです。バッコスの信女は癌で亡くなる観世寿夫の最後の公演だそうです。岩波の公演があった74年に小野が亡くなっています。
 偏屈おじさんのわん日記の中に「劇的なるものめぐって」を見た感想に『小野碩であると知る。一言でいえば、えもいえぬ非在感。わたしの前に現前化された行為は、非在へ向かうものであった。存在そのものがあることによって、非在を行為するといえば、少しは言葉にしたことになるであろうか。エネルギーは内在化される。しかし蓄えられるのではない。茫漠たる荒野へ、寂寞を携えて飲み込まれるかのようであった。換言すれば、何もしないことを行為するということのように、ある。そのように非在する。』と表現された小野の死が利賀村への移転を促すものであったと菅孝行が書いています。


 バッコスの信女は観世寿夫の最後の舞台だったそうです。

 鈴木忠志は、前衛的な芝居を大量に脚本を書き、演出し続けることをしなかった人です。 その意味ではアングラ四天王と言われながら、肌合いが違い、演劇の論客でもあり、哲学者達との対談もこなしながら利賀村では一時、村興しを手伝ったり、あちこちの芸術センターの芸術監督を引受けるなどをしています。 演劇面ではギリシア悲劇を取り上げて、現代風に仕立て直して、能の観世寿夫さんや新劇の有名女優を使うなど、幅広い活動を展開していきます。アングラの誰よりもインテリであったのでしょう。 そういう意味で他のアングラ演劇の代表者達の反権力、スキャンダラスな側面がない分、社会との結びつきが強く、評価は高くなりました。
 海外での名声を活用する形で国際演劇祭利賀フェスティバルの開催に向けて、鈴木忠志は非常な努力を払い、実現させていきます。 82年から開催され、99年まで行われました。 このフェスティバルでは、早稲田小劇場は数回参加した後、利賀を去ることになります。 ここら辺については、資料を探さないと、時期が決定できません。

 この下の写真は初期の利賀山房のもので、やがて磯崎新による施設が建設されます。

舞台
 下はアサヒグラフ(1978.9.22)に掲載された利賀山房におけるマクベスです。マクベスに観世栄夫、マクベス夫人に白石加代子を配するものだったようです。


「トロイアの女」DVDより
同画像から

走狗  演出:関口瑛
 1972年に主要メンバーであった関口瑛や高橋美智子、倉沢周平、土井通肇などが、鈴木忠志の方法論や早稲小の劇団としての運営方法を巡って分裂騒ぎが起きます。巷間いわれたことは、白石加代子に過度に頼った舞台への不満だったですが、近くにいたわけではないので何とも言えません。この分裂騒ぎで初期のメンバーがかなり抜け、その一部が見切り派、走狗を結成します。

                     
 あまり成功せず、確か主要メンバーの誰かが亡くなられたのを切欠に、再び昔の仲間が和解して、84年、新たに劇団SCOTが結成されたと聞いていますが、これもどこまでのことか知りません。そんな覚えがある程度ですいません。何か分かったら修正します。