現代人劇場、櫻社  演出:蜷川幸雄

 現在では、アングラ演劇で最も成功した演出家とされるでしょうが、70年頃は俳優の彼が何故?という感じでした。 その個性的な風貌から悪役が多く、巧い役者で、TVにも相当出ていたので、まぁ、知られた俳優だったのです。70年代を通じて現代人劇場を立ち上げ、それを解散すると次に櫻社を立ち上げ、それも数年で解散するという形で、中心になった石橋蓮司、蟹江敬三は変わらなかったけれど、大多数は動いたのでしょう。喧嘩っ早やかったからでしょうか。彼の自伝を読んでも、あまりよくは分かりません。
ある種の群集劇というのでしょうか、大量の役者を怒涛のように舞台を駆け上がらせていく演出は他にないものでした。 当時から大道具の使い方は並外れて優れていました。脚本は、この当時、最も脂の乗り切った清水邦夫が中心です。

チケット

 

思い出の日本一万年



           東海道四谷怪談


ぼくらが非情の大河をくだる時

心情溢れる軽薄さ


 現代人劇場は3年程度で解散、失意の蜷川のために唐十郎が脚本を書いたのが盲導犬と言われています。 唐十郎の夢というか、情念が状況劇場でない役者によって演じられるのを私としては最初に見た形です。 ちょっと違和感があったことを思い出します。櫻社も3作くらいを公演しただけで解散します。

                                    盲導犬の石橋蓮司、蟹江敬三

同、緑魔子、桃井かおり、蟹江敬三  新劇1973.7月号
蟹江と石橋

泣くのか、泣かないのか、1973年のため

 蜷川幸雄が商業演劇に進出していくのは、よく覚えていないのですが、75年の「唐版滝の白糸」あたりではなかったかと思うのです。 既にその頃、アングラ演劇は胡散臭い、暗いものというイメージから抜け出て、演劇界の異端児から次第にTVなどにアングラの俳優が進出し始め、それが人気を拍する時代に切り替わってきていました。 既存の俳優達も、アングラ演劇に興味を抱き、出演も、頭から否定することがなくなってきた背景があります。
滝の白糸にはGSのザ・タイガース解散後、フリーで活躍し始めた沢田研二、個性派俳優で知られる伊藤雄之助の名と、状況劇場の看板女優李礼仙の名が並べられる、革命的なことだったのです。


下谷万年町物語
上の画像とほぼ同じタイミングで写しています

 その後の蜷川の活躍はWikipediaなどにあるように、我が国演劇界、きってのスケールの大きな演出家になっていきます。蜷川らしさは、どの舞台でも感じられますが、アングラ世代の我々は、あちら側に行った人という印象は濃くあり、成功して良かったねとは思いますが、世の中の人ほどは、凄いと思っていないのが本音でしょうか。

ハムレット78年帝劇                                                      マクベス80年日生劇場