三上寛は、いったいフォーク歌手なのだろうか、 Wikipediaにも「怒号のような荒々しさや、ささやくような穏やかさを持つうたごえと、きわどい表現の歌詞から怨歌フォークとも言われていた。」といいますから、 ここでは演歌に入れさせてもらいました。彼の歌声は心に染み込みます。三上寛は様々な人達と共演しています。ジャンルに収まり切らない魅力があります。
1960年代の半ばに、歌謡曲から演歌が析出されるようになります。演歌が時代と激しく呼応したのが、藤圭子であったと思います。そのひたすら暗い情念を搾り出すような歌声と雰囲気が強く若者達を惹きつけます。都はるみも、当時、ヒットは飛ばしましたが、時代を体現したのは藤圭子でした。
幼いころから浪曲歌手の父、三味線瞽女の母の門付に同行し旅回りの生活を送り、自らも歌った、その生活を体現したような怨歌「圭子の夢は夜開く」(70年)は、10週連続第1位のレコードセールスを記録し、77万枚の大ヒットになります。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間をおかず続くセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位。計37週連続1位という空前絶後の記録を作ります。盛り上がる学生運動、重苦しい、敗北感に満ちた叛乱の時代に、強くシンクロナイズしていったのです。彗星のようなデビュー、そして絶賛の嵐でした。
しかし、時代を体現する形に強制された生き方は、歌手としての幅を狭め、数年先にはヒットに恵まれず、辛く、苦しいものになり、精神的な不安から結婚/離婚、引退/復帰を繰り返すスキャンダルを巻き起こし、芸能界から姿を消します。ほぼ四半世紀を経て、突然、彼女の娘、宇多田ひかるの登場(99年)、再び、世間は驚くことになります。娘はFirst Loveで860万枚という驚くべき記録を作るのです。しかし、幸か不幸か、母親のような、時代を背負う歌手ではなかった。


 演歌は以降、森進一、五木ひろし、細川たかし、ピンカラ・トリオなどが続々と出、北島三郎や都はるみ、そして美空ひばりも加わって、大隆盛期を迎えるのです。

演歌

こちらは原曲:園まり「夢は夜ひらく」

藤圭子「圭子の夢は夜開く」


               
 
                            
          

青森県北津軽郡東京村
夢は夜開く
夜中の二時
一人の女のフィナーレ

この時代の歌謡曲の世界で稀代の詩人であった寺山修司さんの影響は大きいものです。ロックで取り上げるカルメン・マキのデビュー・シングル、「時には母のない子のように」は、どう聴いても歌謡曲であり、ニューミュージックのはしりであるでしょう。 日吉ミミさんにしても、寺山さんから、その雰囲気を買われてのコンサートだったように思います。「ひとの一生かくれんぼう

 寺山さんの作詞の歌「人の一生かくれんぼう」です。


美輪明宏さんはシャンソン歌手ですが、大ヒット曲に「よいとまけの歌」があるように、シャンソン歌手の範囲を超える存在です。天井桟敷の初期の舞台に出演、圧倒的な存在感を示します。三島由紀夫の演劇にも主役として参画、両性具有の、装飾性豊かな世界を見せ付けるのです。この時代の一面の過剰な華やかさ、肉体性を象徴しています。ただ、ここに紹介する「よいとまけの歌」はヒットした後になってから差別的な歌詞があるということで、一時、放送禁止になりました。
別冊宝島「流行り歌に隠されたタブー事件史」
 

 西田佐知子のアカシアの雨がやむときは、この時代を写す映像に必ず流される曲になりました。大ヒットしましたが、1962年ですから、第一次安保闘争が終わった時期に重なります。この映像も昭和30年代のものです。第二次の安保闘争に発する70年前後の学生運動をしている連中にしても、あるいはアングラをやっていた連中にしても、もはや流行は終わっていて、口づさんでいた姿を見たことはありません。第一次も第二次も区別も付かない人達が歌詞の気分で採用しているという感じがします。


寺山さんではありませんが、女囚さそりシリーズの梶芽衣子さんにしても、情念が煮え滾っている時代を象徴しています。


ちあきなおみ
気がつかなかったのですが、ちあきさんも69年「雨に濡れた慕情」で人気歌手に加わっているのですなぁ。72年に「喝采」でトップ歌手に躍り出ます。彼女もまた70年代の人であり、90年代に多くの人が止めるのを振り切って強引にリタイヤしてしまう運命の人なのでしょう。
ねぇ、あんた



ついでにもう一人の時代を象徴する歌手をあげるならば、やはり
山口百恵でしょう。76年、宇崎竜童、阿木洋子夫妻による「横須賀ストーリー」によってアイドル歌手から大ばけし、時代の歌手になっていく。
イミテーションゴールド

「いい日旅立ち」は国鉄のディスカバー・ジャパンのテーマ曲ともなったものです。戦後の高度成長期の観光の変容、団体旅行から個人旅行への転換、「女性の一人旅」がこの時期から始まったとされます。