リベラルという強いバイアスの懸かったドキュメンタリーとは何かという問いがあります。小川紳介は体制か反体制かのどちらかしかない。中間はありえない。反体制の立場で作ると明言していた。
今日、そのことを振り返ると、体制の告発しか表現されないとすれば、そして民衆、特に底辺にいる人々を美化する形でしか表現できないとすれば、やはり虚構としかいえないものです。インテリの農民へのコンプレックスと優越感の入り混じった感情が、幻想としての農民像、村落を映し出しているとも言えます。映像の美しさ、表現力の確かさは抜群のものでしたが、当時でも、ある種の違和感を抱いていました。

Documentary Film( ドキュメンタリー )
この時代、左翼イデオロギーに満ちた告発的なドキュメンタリーが多数制作され、各地で上映会が行われます。
「叛軍」の上映会で講演をしている最首悟は、Wikipediaによれば、「東大助手時代に最首は全学の助手有志とともに「助手共闘」を結成、その中心メンバーとして全共闘運動に参加。東大闘争が沈静化した後も、水俣病問題などへ積極的に取組み、また、愛娘が障害を持っていたことから、障害者問題へも深く関わる。そうした社会問題への関与から、大学当局と対立、東大では助手から先へは上がらず、27年間助手を務めたまま、定年退職」。時代のヒーローだったのです。この時代は全共闘の委員長である人物が脚光を浴び、その行動はマスコミの注目を浴び続けたのです。東大全共闘の山本義隆、日大全共闘の秋田明大、早大全共闘の大口昭彦などです。


「アジアは一つ」、「倭奴」は朝鮮問題、いわずとしれた北よりの告発映画で、今なら歴史偽造呼ばわりされ反日映画に分類されるでしょう。
      

全共闘運動が下火になる70年代には公害問題が社会の関心を集め、多くの活動家が公害の現地に飛び、住民運動に参加し、企業への告発、国家への告発を始めます。その先鋒に立ったのは最首と同じ東大助手の宇井純でした。彼の書いた公害原論はベストセラーになります。彼の自主講座には多くの若者が集まりました。公害の衝撃的な映像が広く上映され、高度成長を続けてきた我が国の産業に大きな衝撃を与え、公害防止に向けての多くの取組みが始まり、74年、79年に起きる石油ショックを乗り越える新しい技術として、新たな我が国の発展の起爆剤になっていくことになります。運動を担い企業社会を根底から覆そうとしていた人達には皮肉な結果になるのです。


この時代のドキュメンタリーで圧倒的な存在は土本典昭小川紳介です。土本典昭は水俣病の告発で名をとどろかし、強い印象を観る者に焼き付けます。一方、小川紳介は三里塚の農民と生活を共にしながら成田空港の建設に反対する農民運動(いわゆる三里塚闘争)を記録した後、山形県上山市に移住し農業を営みながら、82年『ニッポン国古屋敷村』、86年『1000年刻みの日時計 牧野村物語』を発表。ベルリン映画祭国際批評家連盟賞を受賞します。農民と共にあるという姿勢が当時の闘争を担う学生達に高く評価、支持されたのです。



小川伸介「古屋敷村」

この2枚は当時の映写会のものです。こういう形で公演と映画が行われたのです。

左翼イデオロギーではない各種の映画も、とりまぜて映写会が行われました。リベラルの夢あるいは当時の若者達の気分なり、感情をよく現しています。


北村皆雄
 政治的なメッセージ性が強い中で、民俗学的なドキュメンタリーを撮り続けたのが北村さんです。日本映像民俗会の創設の主要メンバーであり、見世物小屋、修験などの映像はもちろん、最近は本も出版されています。中沢新一氏との対談で次のように紹介されています。
 映像作家。ディレクター、プロデューサーとして沖縄・韓国・ヒマラヤ・チベットなどアジアを中心に数多くの作品を手がける。代表作に長編記録映画「カベールの馬・イザイホー」(1966)、「アカマタの歌」(1973)、劇場用映像「見世物小屋」(1997)。人類学シリーズ「花祭り」「諏訪の御柱」「バナーラス生と死の巡礼都市」。テレビ作品にTV朝日開局40周年記念番組ネイチアリングスペシャル「チョモランマの渚」、「遙かなる秘境西域6000キロ大探険」(TBS)、「チベット大河紀行」(NHKスペシャル)など多数。

神屋原(カーベール)の馬