DVD

       実験映画A   〜日本〜

原一男
メジャー映画に関わらずに、生き残ってきたという意味で、原一男をトップ・バッターに持ってきました。ドキュメンタリー作家ですので映像の実験者という言い方はできません。この極私的エロス・恋歌は出産シーンがウリだった。原一男は、ある人間をぎりぎりまで追い詰めるのが作風ですが、まぁ、これもその雰囲気がありますが、「ゆきゆきて神軍」(87年)のようなものはありません。むしろ自分を追い詰めている。映像的には金もなかったからっでしょうが、随分と暗く、はっきり見えなかった。ちょっとしつこいのは、彼の作り方なのでしょう。「ゆきゆきて神軍」が、あの原一男の作品だというのには、随分、驚きました。Wikiを見ると撮影助手や助監督を勤めている時期が長かったようです。ヤラセやストーリー性を壊していく作品は一級です。

           ゆきゆきて神軍

原正孝(原将人
原一男の極私的エロスとほとんど同じ頃に公開されますが、評判ではこちらの方が高かったように思います。初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)は上映時間、実に8時間というものです。このガリバン刷りのチラシにあるように、土曜の夜11時開演で翌朝7時終演。行きましたよ。結構、寝てたような。題名は最初の天皇を意味しますが、映画は、かつて撮ろうとした初国知所之天皇の中断を巡る物語であり、日本という国を作った初国知所之天皇を探すうちに、自分が「映画」という国を作る初国知所之天皇であることに気づいていく自身の物語。というロードムービーで現在でもカルト的な人気があるようで、DVDも発売されています。
『「商業映画の対極、日本のインディーズ映画のカリスマ」「天才中の天才」原正孝=原将人。本作は、制作・演出・脚本・撮影・主演・音楽・演奏・編集、更には上映の際の映写技師、モギリまで原正孝がたった一人で行った、8時間に及ぶ衝撃的な8mmカラー映画「初国知所之天皇」(1973年作品)』のキャッチコピーは少し言い過ぎだと思いますが・・・。音楽はアシッド・フォークの超名盤とされていますが、記憶にありません。そんなに強い印象はありませんが、歌が流れていたことは、かすかな記憶です。右のチラシは評価を得てからのもので16mmです。フィルムグラフィを調べていて思い出しました。68年にグランプリを受賞した時に、まだ18歳、高校生。脚光を浴びたのです。その意味では原一男とは段違いの注目を集めていたのでしょう。その評判で映画を見に行った訳ではないんですが。


その他のFilmography
「おかしさに彩られた悲しみのバラード」(1968年)東京フィルム・アート・フェスティバル、グランプリ
「自己表出史・早川義男編」(1970年)



おかしさに彩られた悲しみのバラード(68年)

足立正生
足立正生は70年代の人というより60年代の前衛を担う一人であったことが「映画/革命」を読むと分ります。ほとんどの作品は60年代に作られます。草月会館でのジョン・ケージ、オノヨーコとの共演など、ハプニングを主体にした活動が実に華やかです。70年頃には新宿に三人の天才ありといわれる一人であったと云います。他の二人は唐十郎、横尾忠則です。足立の作品というと、若松孝二と組んだピンク映画の作品群が私にはほとんどです。ピンク映画だったこともあって、それほど高い評価を与えていたわけではありません。凄いとか、素晴しいとか、そんな風に思ったことはありません。過激さが持ち味だったように思います。政治的なメッセージが強く、理屈が先行する作り方でした。

足立正生は、1974年、映画を捨て、パレスチナで活動していた重信房子の日本赤軍に合流し、ゲリラ活動を展開、映画のとおり世界革命に向けて突っ走ります。これには驚きました。72年の連合赤軍事件で、いわば幕引きしようとする世情への抵抗だったのでしょうか、燻ぶる革命気分が行動に掻きたてたのでしょうか。あのまま日本にいたら彼はどういう存在になったのか・・。
1997年には岡本公三や和光晴生ら四人と共にレバノン・ルミエ刑務所にて逮捕抑留。2000年3月刑期満了、身柄を日本へ強制送還。旅券法違反で起訴され、懲役2年執行猶予4年の判決が下る。

 
銀河系
Filmography
「椀」(1961年)- 学生映画祭大賞
「鎖陰」(1963年)
「堕胎」(1966年)
「銀河系」(1967年)
「女学生ゲリラ」(1969年)
「赤軍PFLP・世界戦争宣言」(1971年)
「略称・連続射殺魔」(1975年)

大和屋竺
若松孝二の「若松プロ」を足立正生、沖島勲らととともに支えた。主な監督作品に「裏切りの季節」「荒野のダッチワイフ」「毛のはえた拳銃」「愛欲の罠」。また、アニメ「ルパン三世」の代表的脚本家としても有名
荒野のダッチワイフ(67年)

奥村昭夫
狂気が彷徨うは、ニュージャズのところで述べたように、高木・豊住の演奏を聞いていたようなところがあります。記憶がないのですが、過激派内の内ゲバをテーマにしていた。ハプニングを映画の中に取り込み、映画を撮ること自体がハプニングになっていく構造を持っていたそうです(平沢剛「アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス」から)。現在はゴダール研究の第一人者だそうです。ネットで評判を探すと、つまらない、わからないと、良い評価はないようですが・・・。

Filmography
「猶予もしくは影を撫でる男」(1967年)草月実験映画祭グランプリ

「3人でする接吻」(1968年)


森田芳光
今回チラシを整理していた中で発見したものです。Wikipediaにも載っていません。今や堂々たる映画監督ですが、20代の頃に短編映画を作っていたのです。「健康診断」・「工場地帯」72年、東京近郊地帯」73年、「絵画教室」・「東京ナイト」・「機械体操」・「映画スター」74年。メジャー・デビューは81年の「のようなもの」です。


城之内元晴
 城之内さんについては、映像万華の中に紹介ページがあり、そこから抜粋させていただきました。

 城之内元晴は、日大芸術学部で1年先輩の平野克己、神原寛、谷山(現在は康)浩郎たちと日大映研を創設し、『釘と靴下の対話』(’58)、『Nの記録』(’59)、『プープー』(’60)作品の主軸となって活躍。全国学生映研のリーダー的存在のひとりとなります。
 この時期、荻窪にVAN映画科学研究所を設立し、やがてVANは前衛アートを志す、ミュージシャン、画家、詩人たちのネグラと化していきます。城之内はあらゆるアートの境界線を超えた、独自の世界を構築していきます。



ヴォルス
Filmography
『ドキュメント・6.15』(’61)
『ドキュメント・LSD』(’62)
『ハイレッド・センター・シェルタープラン』(’64)
『WOLS』(’65)
『土方巽』(’67)
『新宿ステーション』(’74)