Filmography

『EKO Series』1963年 8mm
『日没の印象』(24分) 1975年 16mm
『夏休みに鬼無里に行った』(13分)1975年 16mm
『草の影を刈る』(200分) 1977年 16mm
『写さない夜』(46分)1978年 16mm
『15日間』(90分)1980年 16mm
(1980年まで)
       実験映画C   〜日本〜

かつて新宿厚生年金会館近くに、MATO GROSSOという名の実験映画を専門の映画館がありました。小さい小屋で20人くらいが入れる場所です。もうネット上でも、この映画館について話す人もいません。私はここでメカスの営倉も、ノーカットのピンクフラミンゴも観ました。今は新宿厚生年金会館自体も建て直され、かつての面影もないのですから、こういう小屋が忘れられるのも仕方がないのでしょう。


藤沢勇夫
68年東映東京撮影所に契約助監督として入所。72年フリー
             74年「バイバイ・ラブ」
             98年「純がくれた命」(T)追跡「ゴキブリ全滅作戦」。
             99年 人間劇場「元気で病気しております」他。

   

かわなかのぶひろ(1941-)1968年に個人映画制作者の組織「ジャパン・フィルムメーカーズ・コーポラティブ」に参加、事務局長となるが、翌年脱退、佐藤重臣と「日本アンダーグラウンド・センター」設立。72年より、渋谷の「天井桟敷」地下劇場でシネマテークを開設、76年まで上映活動。 1977年、四谷に上映の拠点「イメージフォーラム」開設。80年に映画批評雑誌「月刊イメージフォーラム」(ダゲレオ出版)を創刊し、初代編集長。映像作家の活動と同時に、若手の育成と映像を上演する拠点の設営、雑誌による広報活動と、映像業界のために非常に頑張ってきました。 


長野千秋(1931-) 大学卒業後、科学史を研究。その後、芸術的表現を求めて57年日映科学映画に入社。60年退社しフリー。67〜68年にかけて土方巽スタジオで大野一雄に師事し、舞踏の修練を受ける間に「老人」などの映画をつくりながら舞踏の舞台監督をつとめる。代表作は大野一雄の出演を得て撮られた「O氏の肖像」「O氏の曼陀羅」「O氏の死者の書」(69-76年)の三部作。



田名網敬一                        

田名網敬一はグラフィックデザインで、鈴木志郎康は詩人として、当時から有名でした。エロティックな映像、サイケデリックな色使いなど、イデオロギーがかった日本の実験映画の中で異色の存在でした。海外の実験映画の流れからすれば、田名網さんの方法の方が主流であったでしょうが。意味が求められ過ぎる風土の中で、どうだったのでしょうか。

田名網敬一のシネマーケットより

鈴木志郎康
鈴木さんは詩人としては映像を作るのは当時としては珍しいですが、当時、かなり破天荒な詩を書いていましたから。映像の中身は覚えていないのが正直なところです。
                                 

加藤好弘
 映像作家というよりハプニングを主体とする現代アートです。彼が率いたのはゼロ次元という名前で全国に300人の参加者というかシンパがいたとされています。アートテロリストと称しており、現在も活動中。

いなばの白兎(71年)


桂宏平
 昔の映像感覚に近いものを作っていたような気がしますが、定かではありません。現在、どうされているのか情報はありません。
Eleine
Filmography

『うあたかたの恋』1968年 8mm
『にれの木陰のお話』
『Eleine』1970年

おおえまさのり
おおえまさのりさんは70年代というより60年代のアヴァンギャルド芸術運動の人です。65年に渡米して、あの時代のアメリカ、フラワー・チルドレンの時代を体験して、サイケデリック・フィルムの制作、上映を行い、69年に帰国します。幻覚の共同体を標榜しエロスの第三世界を出版。時代が大きく変容する中で精神世界への関与を深めて行きます。チベットの死者の書を翻訳出版したことでも知られています。
天路遍歴の神話(70年)

宮井睦郎
ちょっとエロっぽい作品が多かったような・・。でもアンディ・ウォーホルを目指していたようだし。記憶が途切れています。
微分現象学(68年)