長谷川きよしも、渋谷のジャンジャンです。盲目のシンガー・ソングライターとして売り出されました。このチラシは72年です。客の入りは五輪さんと似たようなもので、出演回数も似たようなものでした。毎回、満杯で時間に遅れれば・・ということは少なく、それでも何時も八分目は入っていました。この点は五輪さんも変わりません。

五輪さんのような大ヒットに恵まれなかったのは不運でしたし、盲目のハンデも、なかったとは言えないでしょう。盲目を売りにするのも、どうだったのでしょうか。

ジャンジャンには当時、同じような出演者の常連さんに松岡計井子がいます。ビートルズのカヴァー(日本語詞)を当時からずっとやっていました。悪くはなかったし、売れ方というか、曲の馴染みでは優位でしたが、カヴァーばかりが響いたのでしょう。

売れる、売れない、有名になる、ならないは難しいものです。

五輪真弓を最初に聴いたのは、渋谷のジャンジャンでした。毎月ではなかったですが、かなりの頻度でジャンジャンに出演していました。それ以外の場所での公演は、このチラシが初めてであったような気がします。
大変、巧く、そして伸びやかな声は、素晴しいものでした。ジャンジャンで彼女の代表曲の一つである「少女」や「雨」を聞いていますから、このチラシは74年ですが、多分、72年頃から、何回か行っています。

80年に「恋人よ」での成功は、あの五輪さんかと、感無量でした。

Folk(フォーク)-前史

 フォーク・ソングにはロックとは異なり、戦前は北原白秋野口雨情西条八十などによる童謡の誕生があり、戦後、共産党や左翼が主導したうたごえ運動歌声喫茶が各地に作られた時期もあり、長い歴史を持っています。童謡は戦後も中田喜直などに引き継がれ、NHKを中心に広く歌われていきます。昭和30年代に入ると、4人組の男声コーラス・グループのダークダックスボニージャックス、その後に続くデュークエイセスは大変な人気が女性達にあり、ロシア民謡やイタリア民謡など、世界各国の民謡も紹介され、ママさんコーラスなどを通じて、幅広い層に普及し、マーケットとしても蓄積されてきていました。
 アメリカからは、ブラザース・フォー、キングストン・トリオなどの白人コーラス・グループやトニー・ベネット、アンディ・ウイリアムズ、フランク・シナトラ、フランスからアダモ、シルビー・バルタン、シャンソンのアズナブール、ムスタキ、イタリアからはミルバなど、戦後のポピュラー音楽が押し寄せ、それらを貪欲に呑み込んでいったのです。それらの曲は一部はジャズ・シンガーによって、一部は菅原洋一、岸洋子などのクラシックから入ってきたシャンソン歌手によって、一部はフォーク・ソングとして、ジャンルを超えてとは聞こえが良いですが、無茶苦茶に、取り混ぜて消化した(?)のです。そこにはジャンルによる区分けはなく、単に洋楽として、日本の民謡や歌謡曲とを区分しただけであり、では中村八大作曲、坂本九「上を向いて歩こう」、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」は何だと言われても、流行歌としか言えないものだったのです。
 60年代に入る頃は、マイク真木の「バラが咲いた」が大ヒットになりました。 65、66年にはTVドラマ「若者たち」が大ヒットし、その主題歌はキャンプ・ファイヤーで、長く歌われることになります。

 相良直美の「世界は二人のため」は結婚式の定番ソングになったものです。 60年代の終わりには、天才少女といわれた森山良子が出ます。
ザ・フォーク・クルセダーズ も、フォークとして始まっています。 このような正統派のフォークは70年前後においては、大きな影響力を有していました。
帰ってきた酔っ払い
森山良子 
今日の日はさようなら


 ここでは70年前後に大きな人気があった五つの赤い風船と、当時、無名であった五輪真弓、一部で根強いファンがいる長谷川きよしを取り上げます。五つの赤い風船は、後にガロやかぐや姫につながるものがあるように思いますし、五輪真弓は「恋人よ」で大ヒットを跳ばすようにフォーク・シンガーとして、シンガー・ソング・ライターとしての力と共に、他のフォーク・ソング歌手と違う側面があるように感じます。それは長谷川きよしでも同じです。この3人のいずれも、当時の沸騰する政治、社会情勢とは無関係に近い、歌そのものと共にあったと言えるのではないでしょうか。分りませんが、プロテスト・ソングを歌った多くの若者たち、フォークもロックも、ボブ・ディランに影響されたのに比して彼らは違ったのではないかと思います。



五つの赤い風船 (67年結成、72年解散、2000年再結成)。 上記のチラシは両方共、解散時のものです。当時は、こういう形のものが少なかった、 赤い鳥くらいでしょうか、普通の子達に人気がありました。 この頃には次に述べるメッセージ性の強い連中が多く出ていましたが、いつの世でも、我が国では、こういうソフトで、メロディアスなものが受けるのです。私ですか?人気があったので聴きに行った程度でファンではありません。主要メンバーの西岡さんのソロ活動の一つ。72年。



恋人よ

少女


別れのサンバ


時代的にはずれますが、他に入れにくいので、上條恒彦をここに置きます。 出発の歌が大ヒットですが、この木枯らし紋次郎のテーマ曲、「だれかが風の中で」も代表曲になります。