高田渡と中山ラビ 80年半ば頃、「高田渡読本」から

中山ラビは、女ディランといわれプロテストソング、メッセージソングのヒロインとされています。チラシは74年。
74年の魔女コンサート。中山千夏とか、花柳幻舟とか、なかなか懐かしい顔ぶれになっています。どういうわけか松島トモ子、当時、日活ロマンポルノのスター田中真理までいて、こりゃ、どういうコンサートだったのかと。今となっては行かなくて残念という感じです。
チラシは72〜73年にかけてのものです。なんかWikipediaによると、今はレゲエ歌手になっているようで。容姿も、昔とえらい違いで、まぁ、年月というのは恐ろしいです。
岡林らとの「三億円事件の唄」「自衛隊に入ろう」、「しらみの旅」、「生活の柄」、「長屋の路地」など。1970年頃に拠点を東京吉祥寺に移し、吉祥寺フォークの第一人者へ(Wikipedia)。場所の記憶、吉祥寺ぐゎらん堂に写真があります。
岡林信康
岡林のチラシがないのは、Wikipediaから引用をすると、
1968年、山谷労働者を題材とした『山谷ブルース』でレコードデビュー。翌年までに、『友よ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止に。「フォークの神様」と言われたが、周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより、翌年五月に一時蒸発。
1970年には、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。『それで自由になったのかい』などを発表、1971年「自作自演コンサート 狂い咲き」及び、「第三回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。
1973年にソニーへ移籍、活動を再開。ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。一部で高い評価を得るものの、「フォークの神様」を期待するファンが多く、結局、その意識は京都府丹波地方の農村生活の中で沈黙することへ向かった。(一部、略)

という事情からです。

Folk(フォーク)-T(ニュー・フォークの出現)


アメリカで、当時、モダン・フォーク・ブームが起こります。ジョーン・バエズ、ピーター・ポール・マリー(PPM)がその代表です。バトナム戦争への抗議を込めた反戦歌で非常に大きなインパクトを与えます。ボブ・ディランも初期は反戦フォークを歌います。このような社会に向かって抗議するプロテスト・ソング(Protest Song)の波は、日本にも現れます。これらを従来のフォークと違うということでニュー・フォークと呼ばれます。

受験生ブルースで名前を挙げた
高石(友也)ともや、1968年、山谷に住む日雇い労働者を題材とした『山谷ブルース』で登場した岡林信康はベトナム反戦や学生運動に熱中する仲間から大きな支持を集めます。この2人はフォークの神様と謳われ、別格の存在とされるのですが、それが仇になった部分もあって、政治の季節が終わる70年代後半には忘れられていきます。それでも名前だけは残ってしまいましたので、時代を代表する歌手であったたが故に、転身が厳しいものになりました。
 
  チラシ2枚共に972年 

             高石ともや

  


高田渡(2005年死去)

中山ラビ

生活の柄

南正人


こんなに遠くまで

加藤登紀子

プロテスト・ソングではなかったのですが、加藤登紀子は彼、後に夫になる人が過激派で、獄中結婚したものですから、ある種、そういう扱いを社会的に受ける形になります。東大在学時代から既に、スター的な存在でありましたから、独特の巻き込まれ方をしていきます。 ヒット曲にも恵まれましたし、幅広い層に人気がありました。他のフォーク歌手のほとんどが大ヒットを飛ばすまでは、観客のほとんどが若い人しかいなかったのに比べて大きな違いがあります。早くからシンガー・ソング・ライターとして確固とした地位を築いたという意味では、森山良子よりも確かな存在であったでしょう。

知床旅情

フォーク・ゲリラ
1969年、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)によるフォーク・ゲリラが春先から初夏にかけ、毎週土曜日、新宿駅西口の地下広場で、主に高石ともや、岡林信康、中川五郎、高田渡の曲をギターを弾いて歌ったのですが、始まった頃は数人だった人の輪が、みるみる内に広がり、最後には7千人も集まってきました。 結局は、5月14日「ここは広場ではなく通路だ」という理屈をタテに、機動隊が催涙弾によって排除し、64人を逮捕した事件が起きます。

                                           人が集まる前と後の新宿西口広場

「シリーズ20世紀の記憶、連合赤軍・"狼”たちの時代」毎日新聞

68年に起きた国際反戦デー新宿騒乱事件の熱気がくすぶっている雰囲気が濃く出ています。私も評判を聞いて行きましたが、あまりに人が多くて、どこで歌っているかも分らずに帰ってきたことを覚えています。

全日本(中津川)フォークジャンボリー

 行ったことがなかったので触れてきませんでしたが、当時、若者の音楽という形でロックやフォークを集めた野外コンサートが開かれます。有名なウッドストックも同年ですが、少し早い開催です。ある種、伝説化されますが、 当時の音楽シーンからすればロックと呼べる様な状況ではありません。 まぁ、それにしても大変な人数が集まったものですが、場所が東京から離れていたこともあり、以降もそれほど大きな話題になることはありませんでした。 この成功からヤマハの合歓の里コンサートなどが行われるようになり、こちらは長く続きました。