詩人の印象が強い友部正人ですが、このころはプロテスト・ソングを多く歌っていたように思います。
東京キッドブラザースの旗揚げに参加して、音楽監督をしているとのことです。残念ながら記憶があまりありません。他の歌手に作詞提供が多くあるので、コンサートとしての記憶が薄かったのかもしれません
NSP(72年結成、86年活動休止)
74年「夕暮れどきはさびしそう」が大ヒット。
あがた森魚は、私なんかは林静一「赤色エレジー」の印象が強くて、フォークには分類していませんが、けっこう微妙なのかもしれません。映画にも、一時はTVにも出ていましたから、よく覚えています。
小室等というか、六文銭というか、最初に知ったのはアングラ演劇の舞台でした。壇上から少し離れた高い場所に陣取って、バックの音楽を担当していました。生のバンドをバックに入れるところも凄かったですが、ハーモニーの美しさが印象に残りました。

六文銭のヒットというと「雨が空から降れば」ですが、他のバンドに比べてヒット曲に恵まれたとは言えなかった。私なんかから見ると、人気バンドに成り損ねたという感じですが、人柄なのか、面倒見が良いのか、人を引寄せる魅力があったのか、ヒットとは無関係に、フォーク界の大御所になっていきました。ここら辺の事情は、業界に詳しくないので知りません。離合集散を繰り返した業界の中では稀有な存在なのかもしれません。

フォーク黄金時代に、小室等の30歳の誕生日の写真があります。その嬉しそうな表情は印象的です。インディーズ・バンドとして、マイナーな世界で生きるしかないと思っていたのが、成功に恵まれ、仲間達を共に祝えることの幸福感なのではないかと思います。
六文銭や小室等のチラシがないのが不思議なくらい、何度も聴いているのですが、影のプロデューサの役割が多かったのかもしれません。目立ちたがりが多いミュージシャンの世界では珍しい。


Folk(フォーク)-U


連合赤軍事件を境に、政治の時代は終わりを告げます。プロテスト・ソングが急速に退潮していく。四畳半フォークと呼ばれる時代は次に譲るとして、プロテスト・ソングからの脱却が模索され始めます。

六文銭(1968年結成、72年解散)/小室等



 小室等が歌っているのが消えたので及川恒平のもので。

泉谷しげる/古井戸
泉谷しげるは、プロテスト・ソングのイメージが残った方でしょう。吉田拓郎的な歌を嫌がってエレック・レコードに留まって頑張ったという話もあります。75年には小室等、吉田拓郎、井上陽水と共に、フォーライフというレコード会社を立ち上げます。75年にはフォークはそれだけの力をつけていたのです。
73年                             72年                             71年



下田逸郎
73年

 年をとってから歌うと実に変な感じがしますが・・・・

NSP



あがた森魚

左右共に72年
緑魔子と
赤色エレジー


友部正人
73年 74年
74年
   
遠藤賢司

遠藤賢司ことエノケンは、本人自ら純音楽家と称していました。左が72年、右が74年のチラシです。71年にポリドールから2ndアルバム『満足できるかな』を発表。バックを細野晴臣、鈴木茂、松本隆、はっぴーえんどのメンバー。このアルバムに収録された「カレーライス」がヒットし、代表曲になります。吉田拓郎と並ぶフォーク界のプリンスと言われました。



山本コータロー
走れコータロー」のヒットから、74年、深夜放送で大ヒットした「岬めぐり」です。コータローはフォーク・ブームの初期に属する人ですし、この岬めぐりはプロテスト・ソングから変わっていく時代の象徴的なものですが、以降、目だったヒットがなく、超メジャーにのし上がっていくことはできなかった。仲間内からは人柄か愛されていたような気がしますが、正確には分かりません。


赤い鳥 竹田の子守唄(山本潤子)この歌も部落差別が絡むとされ放送禁止され、今でもTVなどでは放送されないものです。


中津川フォークジャンボリー

東京人2011.9