身体が弱く、はかなげな痛々しい感じがありましたが、声は素晴しかったことを覚えています。熱狂的な男声ファンが多かった。この印象はデビュー当時です。
今頃の曲を聞くと、随分、印象が違います。
やがて吉田拓郎に並ぶ大メジャーになっていく井上陽水ですが、有名になるまでに少し時間がかかります。これはまだ、無名の頃のものです。ジャンジャンにも出演していたようですが、残念ながら聴きに行っておりません。チューリップは同じ福岡出身ということで、いっしょに出ていたのでしょう。72年

ジャンジャンに出演していた頃は、それほど注目を集める存在ではなかったのでしょう。3枚目のアルバム「氷の世界」が爆発的なヒットになり、のし上がっていきます。女性のファンが非常に多かった。彼のような高音の男声ボーカルが、南こうせつもそうですが、この時代以降の人気歌手の特徴になり、その先駆けになったと思います。
RCサクセションの軌跡は、興味深いものがあります。ここにありますように、当時はフォーク・グループとされていました。私が最初に彼らを見たのは、渋谷の歩行者天国で客引きを一所懸命していて、入場料10円なんていう、当時ですら無茶苦茶なことをしていた時でした。なかなか売れませんで、前座などを懸命にやっていました。売れるのは80年頃にグラム・ロックに転身してからです。RCサクセションは昭和50年代で採り上げます。

Folk(フォーク)-V(四畳半フォーク)

Wikipediaから、『四畳半フォーク(よじょうはん-)とは、フォークの中でも、恋人同士だけの貧しい(であろう)暮らし(四畳半の部屋に同棲)を内容の中心とした作品のことを言う。典型的には、かぐや姫の「神田川」(73年)、風の「22才の別れ」(75年)、吉田拓郎の「結婚しようよ」(72年)などを意味する。』 この揶揄された言葉のように、フォークの仲間から、特にプロテスト・ソングをフォークと呼んだ人達からの評価は高くありませんでした。しかし、時代は政治的な色合を消し、若者の心情を歌う歌になっていきます。それが 大ヒットになり、歌謡曲の作詞作曲家からは絶賛を浴び、数多くの賞、メジャー歌手として巨大な成功を手中に収めるのです。
彼らのほとんどがTV出演を断ります。TV出演を断る歌手が現れたこと自体が芸能プロダクション・システムが脅威に曝されることでありました。商業資本側がフォークソング側に擦り寄っていく時代がはじまります。陽水は結構、抵抗しましたが、かぐや姫の南こうせつやアリスの谷村新司に続いて拓郎も紅白歌合戦に出場するようになります。突出した人気により、あっという間に売れっ子芸能人になっていきます。かつて同じ舞台に立っていた仲間達との落差は非常に大きいものがありました。それでも彼らは仲間を思うことが多かったと思います。
ここにあるチラシの大部分は、成功前のものです。私自身はこの頃から次第にフォークから離れ始めます。多分、大量のチラシが当時、あったでしょう。興味が落ちていくのは、ファンが女性に移り、柔らかで軽やかなメロディーへと移っていく、訴えるものが私自身とは遠く離れていくからであったでしょう。


ただ、時代は大きく変容していきます。かつてポピュラー・ソングは非常に多くアメリカの流行歌を一部、日本語にして歌うのが普通でした。中尾ミエや西城秀樹、尾藤イサオなどなど、皆、そうでした。しかし、70年以降、この動きは次第に影を潜めていきます。やがてニュー・ミュージック、Jポップが成立する下地が、この時代に形成されていくのです。その意味で本当の戦後が終わり、新しい時代が始まったのです。

吉田拓郎かぐや姫(70年結成、75年解散、2000年再結成)
この72年のチラシは、そろそろ名前を出てきた頃のものです。75年のチラシはかぐや姫の解散の年のつま恋でのライブです。値段を見ても2人がメジャーに駆け上がった後であることが分ります。
私が吉田拓郎を初めて知ったのは、渋谷のジャンジャンでした。「関西フォークの雄、東京に進出」がキャッチフレーズであったように思います。東京では2度目の公演ということでした。満員の盛況、ジャンジャンですから100人くらいしか入らない小屋ですが、自作の曲もありましたが、歌い方もボブ・ディランでしたし、ボブ・ディランの曲もあったように思います。独特の雰囲気、親しみと、ファンからキャアキャア言われるのをはにかみながら対応していました。もの凄く良いということもありませんが、悪くないんじゃないか、そんな感じでした。曲の合間に拓郎は学校時代から今日のことまでを語りました。勉強が嫌いで、ギターしか取り得がなく、親に勘当され、バイトで食いつなぎながら、ギター1本で何とか今までやってきたと。
何時の時代も同じかもしれませんが、高度成長期というのは親の子供に対する期待は、強く子供の生き方を縛り付けていました。その重圧からドロップ・アウトし、世間を流浪し、負け犬のような人生を皆、この当時のフォークやロックを目指した若者たちは背負っていたのです。大手の芸能プロダクションが支配する世界で、素人から成り上がる、成功なんてのは夢にも見られない時代です。その中で模索し、かろうじて生きていけるかな、どうか、という世界にいたのです。彼らの成功は私からすれば、良かったなぁと、しみじみ思えたものです。

かぐや姫については実はTVでしか知りません。

72年 75年
外は白い雪の夜
結婚しようよ
神田川

赤ちょうちん

 つま恋での野外コンサートのチラシと集まった大観衆です。


ガロ(71年デビュー、76年解散)、 古井戸、RCサクセション
71〜73年頃は、かぐや姫よりもガロの方が人気がありました。この頃から女の子のファンが非常に多くなっていて、男の我々は段々お呼びでなくなってくる時期にも当ります。時代は急速に変化していました。女の子の方が盛り上がっていて、レコードも女の子が買う、大マーケットに育ち始めています。
72年   72年
72年
ガロ「学生街の喫茶店」

古井戸「ちどり足」

井上陽水チューリップ(70年結成、89年解散)

カーリーヘア時代の陽水
帰れない2人

恋の予感
いつのまにか少女は

海へ来なさい


Turip 心の旅

ケメ(本名 佐藤公彦)
女の子のような可愛く華奢な容姿、歌声も女の子っぽく、可愛く高い声で女の子達に圧倒的人気を拍しました。

                                           左右共に74年
通りゃんせ

山崎ハコ                                     

望郷


サヨナラの鐘




さだまさし
 この人のことはあまり好きでもなく、どうなんだろうと思っていまして、当然のようにコンサートにも行ったこともありませんし、レコードも買ったことはありません。無名時代のことも分かりませんで、チラシもありません。 多分、私が係る世界と時間的にずれていたのでしょう。ただ素晴らしい曲を書いていることもありますし、やはり掲載しておこうと思いました。
関白失脚



イルカ  74年

イルカ:なごり雪


リリー
もはやネット上で探すのも困難になりましたが、一時は雰囲気といい、容姿といい、なかなかの人気でした。松田優作の映画にも共演しています。
72年

私は泣いています

オフコース
チラシがなくなっていますが、長年、ヒットに恵まれず、不遇の時代が続いていたようです。有名になってから、チラシを見つけたような、そんな感じです。
今日の大人気は本人だって信じられないと思います。
「さよなら」


「言葉にできない」


荒井(松任谷)由美
珍しいのがあったので。

あの日に帰りたい

卒業写真


mixiで書いていて思い出したことを追加しておきます。

 我々の時代は、女性が4年制の大学に入るのは、今とは比べものにならないくらい少なかった時代です。世には女子大生亡国論を唱える評論家がいたくらいですが、当時は女性は20〜23歳で結婚するものであり、24歳を過ぎればオールドミスと蔑まされた時代です。
この為もあり4年制大学を出て就職することが少ない、多分、教員を目指すなどの目標を定めた女性以外は、当時、言われたことですが、腰掛、ほんの一時のお勤めという意味でしかありませんでした。多分、3割もいなかったのではないでしょうか。それこそ2〜3割くらいは卒業時には婚約者がいたと思います。残りは花嫁修業ということで家事手伝いになりました。
男性も30歳を過ぎて独身でいるのは身体に欠陥があるのではないかと噂される事態でした。独身でいれば、出世は無理であり、会社に居辛くなるのは女性と同じでした。

 恋愛結婚は、流行でしたから、見合いでの結婚にしても、恋愛というスタイルをとりました。それでも公式の見合い結婚という割合も半分以上であったでしょう。当時の男は女性がバージンであることを平気で要求できる時代です。バージンでなかったことが結婚後にトラブルになることさえありました。できちゃった婚なんてのは、男が相手の親から詰め腹を切らされt場合しかありませんでした。 若い女性が今日、直面する就活も、婚活もありません。周りがすべてお膳立てしました。そういう意味では気楽でしたが、ほとんど親や親戚、会社の上司が決めた相手との結婚に不満がなかった訳はありません。ただ、一概に不幸だったとは、今思えば、言えないと思います

 高度成長期というのは、こうやって皆で隊列を組んで、女性は家庭で専業主婦として子育てに邁進し、男は職場で頑張る時代です。それに合わない人間は容赦なく振り落とした訳です。皆で良い生活、アメリカ的な暮らし、電化製品に溢れた一戸建ての家を建て、サラリーマンになって、スーツを着て都心にお勤めして、自家用車を持ち、休日にはゴルフなどを楽しむ生活が全員の理想とされ、それを目指して突っ走った時代です。今、若い人達が激しく非難する団塊の世代とは、こういう世界です。少しリベラルであることが格好良い、インテリらしい、それもまたアメリカ的な生活の一部であったのです。

 時は70年代、叛逆の時代とも言われた頃ですが、叛逆の根元は弱々しいものでしたから、怒涛のような時代のうねりの中で呑み込まれ、消失しました。
四畳半フォークが何故、大流行したのか、何となく分かる気がします。貧しくても好きな人と一緒に一瞬でも暮らせる幸せと、目の前に迫る豊かさへの誘惑の中で、豊かさを選択した自分を、青春の思い出と共に振り返る、これこそが時代そのものであったのでしょう。

深夜ラジオ

 私は当時、深夜ラジオを聞いていなかったので(夜は眠くて早く寝るタチであった)、あまりよく分からないというか、当時、高校生くらいだった子に絶大な影響のあったものにパックインミュージックというのがありました。 1967年開始ですから随分、古い。最初はあまり人気がなかったようですが、次第に人気が上昇して林美雄さんあたりがピークなんでしょうか。石川セリの「8月の濡れた砂」を誰よりも推したことで有名です。



おまけ
22歳の別れ 伊勢正三


いちご白書をもう一度:ビリー・バンバン

精霊流し  グレープ 

小椋佳 少しは私に愛をください


赤い鳥:翼をください


チャンピオン:アリス


涙を拭いて:三好鉄生