ジャズ&ブルース

ジャズ歌手として、この時代を一斉風靡するのは浅川マキ公式ページWikipedia)です。
最近、聞いていないので、どうこう言える立場ではないですが、ひたすら暗かった。時代の重さを象徴したような暗さでした。 真似した人も多く、私の友人もその一人でしたが、さすがに生き残ったのは彼女一人。 寺山修司さんが見出しただけあって、寺山人脈での共演も多いですが、非常に多くのジョイント・コンサートを行っています。 公演は多く、ファンがしっかりついています。
花いちもんめ

1971   1972
1972 1974 1975 1977

ブルース が70年代の後半から流行り始めます。フリー・ジャズの展開が一種、行き詰まり、政治情勢の変化の中で、ある種のリバイバル、一歩、戻ろうという感じだったのではないかと思います。「ブルースは何故、京都だったのか」というブログがありましたので、一部を紹介。
当時、京都はどのライブハウスに行っても必ずブルーズバンドのライブがあった。京都のブルーズ思考はあの伝説のバンド「村八分」から始まった。その同時期にブルースハウスブルースバンドが生まれた。同志社大学の学館ホールではライブコンサートが盛んで、軽音楽部からあの「三条河原町!」ってシャウトしていたウエストロードブルースバンド(初期はそう名乗っていた)がライブハウスにでてくるようになった。
しかし1977年ごろからリーリトナーやラリーカールトン、アールクルーなどの当時クロスオーバーと呼ばれる ジャズとロックのハーフミックスしたスタンスが流行しだし、その波は京都に押し寄せてくる。同時にテクノも旋風を巻き起こり、その波が京都を襲い、老舗のライブハウスにもハルオフォンや一風堂等があらわれブルースバンドは忘れ去られていった。 ブレイクダウンの解散が京都のブルースシーンの一区切りになったのだ。唯一、憂歌団がバンドとしてブルースをメジャーにしたかもしれない。それぞれのブルースバンドはソロ活動に入り上田正樹、永井ホトケ、入道、近藤房之助、服田洋一郎等のボーカリストでもあるものだけが目だった動きをしていた時期もあった。


妹尾隆一郎さんは、 ジャズ・ハープとしてゲスト出演していたのを見て、素晴しいと思って注意してたので、このチラシが残っています。
  19741977
これは最近のものらしく、かつての少年のような雰囲気もすっかり・・・

憂歌団
当時、ほとんどがフォークやロックに流れる中で、憂歌団はジャズ、ブルースを指向したバンドでした。今は、何か全然、昔と違うようです。

憂歌団     フォーク黄金時代から

これは昔風です。