ガロ
  

ガロが今日の漫画文化に与えた影響は、はかりしれないものがあります。青林堂社長であり、名物編集長であった長井勝一氏が『「ガロ」編集長』という本を書いています。ガロについてはWikipediaに詳しいですが、1964年に創刊され、創刊号は130ページ、130円で発行部数8000部とあります。大変な苦難の中で雑誌が作られました。当時も評価自体は非常に高かったのですが、一般の人達には暗く、よく分からない、の評価で売れない、中でも白土三平の連載が終わる辺りの80年代に入る頃は困窮の度合いを深めて行ったとあります。この厳しい現実に、漫画家も稿料が受け取れず、社員も給与がロクロク払われない。この厳しさはカムイ伝が連載されている頃から噂で、かなり流れていました。
長井勝一
 GAROを継ぐというか発展させていく権藤晋氏は、青林堂に1966年に入社後、1972年に北冬書房を創業し、つげ義春などを起用する「夜行」を創刊します。98年には、夜行の後をつぐ「幻燈」を発行します。権藤さんも「ガロを築いた人々−マンガ30年私史−」を書いています。詳しくはこの2冊を参考にしてください。紆余曲折しながら、多様な漫画家を次々と発掘したガロに比べて、夜行の方が初期のガロを守り、育んでいった感じがします。ガロを生み育てた初期の漫画家をここでは紹介します。

白土三平
白土三平は60年代半ばからの学生運動の時代、それに呼応するような民衆の抵抗、叛乱を描き出すことで若者達のバイブルのような扱いになります。群衆を巧みに表現する力、忍者の奇抜な肉体技が、これまでの漫画の忍者ものの空想的技と一線を画し、登場する人間の魅力で、劇画を押し開いたと言ってもよいでしょう。ガロは白土三平の「カムイ伝」を掲載する雑誌として作られたとされています。忍者武芸帳影丸伝は、その1つ前の時代のようですが、単行本は売れまくり、大島渚が1967年、紙芝居のような映画を作り、評判になりました。私的にはカムイ伝より忍者武芸帳のほうが好きですが。

忍者武芸帳から
 大島渚監督によって映画化もされました。


つげ義春
ガロそのものを象徴する作家がつげ義春であったでしょう。不条理や純粋な夢を最初に漫画化した人といって良いでしょう。カルト的な人気は凄いものでしたが、一般的ではまったくありません。評論家や芸術家たちに絶賛されます。非常に寡作でしたが、記憶に強く残る作風です。権藤さんが「ねじ式夜話」(書籍もあり)に当時のことを書いています。
ねじ式
ゲンセンカン主人
もっきり屋の少女
 テレビドラマでは佐々木昭一郎によって76年に「赤い花」を、映画では四半世紀を過ぎてから、石井輝男によって「ねじ式」「ゲンセンカン主人」が作られます。

つげ忠男
つげ義男の弟です。なかなか雰囲気のある漫画を描いています。兄さんほどには色気というか、不条理というか、そういうものは少なかった。一時期は寡作で発表のない、あるいは後期に微妙に作風が変わっていった兄さんよりも高い評価を受けましたが、今は通でないと知らない人も多いようです。




水木しげる
独特の風貌で水木漫画の妖怪を思わせるところもないではないため本人がTVに出演することもある最近ですが、長い長い苦労の末に、たどりついた成功です。ガロ漫画の最長老であり、貧乏の凄まじさは、つげ義春とどっこいか、それ以上でしょうか。何しろ水木には妻子もいましたから。ゲゲゲの鬼太郎(墓場の鬼太郎)の成功に向かっていくガロ時代は、まだ、貧乏のままでしたが、燭光は感じていたのではないでしょうか。



滝田ゆう
滝田ゆうもまた、売れずに貧乏にあえいだ作家です。この独特の色合いと柔らかな絵柄を作り出すのに、大変な苦労があったといわれます。東京下町の玉の井あたりの情景と情感は不思議な懐かしさを持つものです。1990年に亡くなられています。
寺島町奇譚