〜Photo(写真)〜

 戦後写真の通史を読んで、当時の作家達、年齢などを含めて、「映像の時代」、「私を巡って」の2つに分け、荒木さんは展覧会も多かったので別ページに作りました。しかし、家の押入れから75年のアサヒカメラ「近代の終焉」が出てきて、当時の感覚と通史とが相当に違い、ああそうだったなぁと思い出し、「近代の終焉」を最初にし、他は変えずに構成しました。

 では通史を参考に、この時代の写真について述べます。

 60年代は、安保闘争などを契機にした反体制的なドキュメンタリー作品が多く作られていきますが、60年代も後半、70年に近い頃になると、それまでのストーリー性のある主題に、誰が見てもクリアーな報道写真的な映像から、写真家の意思を強調した、映像によってのみ語りかけようという模索があり、次第に写真が写真家の心象風景を核としたものに変化していきます。その代表的な作家が東松照明でした。そして60年代後半頃から、高度成長から膨大な金が広告に注ぎ込まれる時代に移って来たことから、写真家は広告写真でご飯が食べられる時代に大きく変わり、多くの才能が写真の世界に殺到してきます。
 70年代に入ると大きな変貌が始まります。写真芸術の世界に、広告写真的な技法が生まれてくると同時に、広告ではありえない、写真家としての個の解体ともいわれるアレ・ブレ・ボケを通じてリアリティの新たな表現の追及が行われるようになります。この時代の代表が森山大道です。写真家である「私」を追及する中で、私小説的な、流動する自己表現にこだわったのが荒木経惟であり、その個人的なドキュメンタリー性を、次に続く橋口譲二や倉田精二、渡辺克己に引き継いでいきます。そこに社会あるいは個々人の病理や狂気、あるいはグロテスクなものを見出していく世界に猪瀬光や石内都がいます。このページでは荒木さんのところで終えています。この時代にそれまであまり紹介されることの少なかった海外の写真家の写真も多くもたらされます。その中でも美術で取り上げるシュールレアリストの関係を掲げておきます。

 写真家が職業として成立する時代にはなっても、写真はこの時代、値段がつきません。高名な作家でも絵画や版画とは比べものにならないというか、値段をつけても、知り合いが義理で、つきあいで買ってくれるだけでした。写真はいまだ、表現としては、この時代には認められなかったのです。ここに掲げられた作家達の写真展を多く見たというより、写真雑誌やペラペラの写真集を通じて知った場合がほとんどです。写真展自体が多くありませんでした。評判になった写真展は、この中では篠山紀信くらいなものです。評判はもっぱら女のヌード写真が沢山あるものだけでした。まぁ、これは今も同じかもしれません。そういう意味では荒木さんは当時でも有名でしたが、ちょっとエロ過ぎて、堂々とは入り難い、芸術写真とは見なされないところがありました。芸術写真を専門とするギャラリーはほとんどなかったし、成り立たなかったのです。
 そういう意味では、何世代も離れた皆さんと変わらないかもしれません。ただ、当時は無名であり、写真家も若かったし、芸術家とは認められていないところがあったことです。写真なんてシャッターを押せば誰でも撮れるじゃないか、そういう雰囲気だったのです。


近代の終焉
                     海外の写真家
映像の時代                 (シュールレアリスト他)
          東松照明              マンレイ
          深瀬昌久              アジェ
          細江英公              アーバス

私を巡って
          篠山紀信
          藤原新也
          中平卓馬
          森山大道
          小川隆之
          内藤正敏
          新倉孝雄

          荒木経惟