スーパーマーケットの誕生


スーパーマーケットの誕生と業態開発

 マイケル・カレンによるスーパーマーケットは、

  1. ナショナル・ブランド(NB)品の低価格販売
  2. セルフサービス
  3. 大量陳列
  4. DMによるプロモーション

以上の四つといわれている。 NB品が強く出ているのは、その当時、チェーンストアが全国に張り巡らされ、そこではPB(プライベートブランド)を積極的に販売していたからと云われている。NB品の低価格仕入は、ロビンソン・パットマン法により、同じロットを購入するものに差別的な取引をしてはならない、という定めを利用して大量購入により仕入価格の引き下げを図ったことにある。 注意すべきことは、ここにはワンストップ・ショッピングの概念がないこと、ナショナル・ブランドとセルフサービスが組み合わさっていることである。

 ナショナル・ブランドを取扱うことで誰でもが知っている、説明を要さないことが背景にある。 徹底したローコストで販売価格を抑える志向が強くあり、当時はともかくとして現在でも、スーパーやDSでの店内荷役はパレット、フォークリフトが活躍している。当時の写真を見ても、郊外の道路わきに、駐車場つきの、非常に簡素な大型店である。日本と何が違うかを見ながら業態の意味を考えていこう。



日本のスーパーの誕生

 日本がスーパーの存在を知り、紹介したのは商社であり、レジメーカーである日本NCRであった。呼応する形でダイエー、ジャスコ(イオン)、ヨーカドー、西友などの創業者達が猛烈に勉強し、店舗を建設し、地域から始まって全国展開を図っていく。スーパーマーケットについて理論的な補強をしたのがペガサスクラブを主宰した渥美俊一氏であったことは、よく知られている。
特徴的なことは、このメンバーの中に誰も食品の小売業者がいないということ、また、あまり言われないことだが、スーパーマーケットが成立する昭和30年代半ばという時代は、日本が戦後の廃墟から、ようやく立ち上がって、高度成長によって昇っていく時代だということである。マイケル・カレンが始めた時代は大不況時代。モータリゼーションによって郊外に住宅地が移動し始めていた。郊外に大型店舗を設営して、低価格販売をすることが、アメリカ国民に熱狂を持って迎えられることになる。 日本とアメリカでは条件がまったく違っている。

 スーパーマーケットは、アメリカの「おしゃれな」、「近代的な小売業」として受け止められたのであって、確かに安売りを大きくアピールしていたけれど、その評価は一部の商品には当て嵌まっても、必ずしも、そうではなかった。特に食品では評価が低かった。立地も当時は駅前の繁華街が中心だった。 日本でも、韓国や東南アジア、中国でも、確かにスーパーマーケットの形はあっても、内実は業態として形成されたものではなく、店とサービス・スタイルを模倣したものに過ぎなかった。不幸にも、今も変わらない。

昭和37年頃のスーパー(桜堤)