安土敏氏の「日本スーパーマーケット創論」商業界が2006年5月に発行された。
               
一介のコンサルタント風情が批評するのもおこがましいが、随分と、商業理論から外れた話を書く人だと、いうのが最大の感想である。サミット・ストアのかつての社長さんであり、昔の本の「日本スーパーマーケット原論」では生鮮食品の生産供給システムの構築という点で、感心もしたし、大変な努力をしてきた人と評価していたのに残念でならない。どこがずれているのかを、書くと共に、今、食品スーパーが抱える問題を書いていこう。

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はじめに

日本スーパーマーケット創論を読んで

               









内食提供ビジネス

日本スーパーマーケット創論の副題になっている「食品スーパーは内食提供ビジネス」であると安土氏は主張している。ただ、残念ながら、内食という言葉が生まれたのは、たかだか20年前である。
85年頃にコンビニの弁当、おにぎりが、その成長力で注目され、私の記憶ではすかいらーくの横川社長が中食という言葉を作り出し、対概念として家庭内で食材を購入して料理する食事を内食と定義した。
スーパーの歴史は、それよりはるかに古い。日本ではスーパーには衣料品のスーパーや眼鏡スーパーなど、スーパー=安売り、セルフサービスということで、いろいろな業種でもスーパーという言葉が使われるが、本来スーパーとは我が国で言うところの食品スーパーに限定されることを、まず、念頭におく必要がある。
スーパーは、1930年代にマイケル・カレンによって創始されたというのが学会や業界の常識である。カレンにスーパーは内食提供業であるといったら、のけぞってしまうだろう。アメリカのスーパーは、料理品の販売もしているし、デリバリーサービスも、イートイン・コーナーもある。内食だけにビジネスを区切っている企業はどこにもない。それは日本でも同じであり、スーパーマーケットは現在では非常に多様なサービスを提供している。
安土氏は基盤が内食提供サービスなのだと言いたいのでしょう。しかし、それも不思議な話で、最初から何故、雑貨が販売されていたのかという回答にはなっていない。何が間違っているかと言うと、業態というものへの誤解があると思う。


エコロジーとしての商業

「戦国の村にて」という本を読んでいたら、戦国時代大きな合戦のある陣屋には商人達が押し寄せ、市が立ち、食料や武器などが盛んに売買されたと書かれていました。戦場には武士だけではなく、小荷駄とよばれる輸送部隊、商人達がおり、そこに近隣の村々の農民達が加わった、戦争という壮大な祭、露店が敵味方のそれぞれに成立したというのである。このころの商業は、我々がイメージする店を構えて、定住した植物のような形ではなく、ダイナミックに走り回る動物のような商業だった。
今、ダイナミックに走り回る商業を想像するのは難しい。植物のように群生し、あるいは孤立して大輪の花を咲かす商業の方が連想しやすい。
商業というのは、ある種、植物のようなもので、「種」という人が必要であり、「水」としての金融があり、「土壌」という商品供給の流通があり、「日当たり」という需要が必要であると思う。何か一つが抜けても商業は成立しないし、日当たりが悪ければ、需要が抜けていけば、暫くは頑張れても枯れていくしかない。土壌が良ければ育つし、悪ければ難しい。金がスムーズに回らなければ、どんなに良い土壌でも、種でも育ち難い。
何故、エコロジーで喩えようとするかというと、スーパーやコンビニという外来品種に、専門店という昔からの在来種が食い荒らされていることがある。
商店は殖えるときというのは、ほっておいても、まさに雑草のごとく増え、秩序を維持し、整理するのに一苦労するが、荒れてくると、どういう手を打っても、なかなか戻らない。商業の群生は、様々な条件を織り成しながら、多様な種類の生き物達が媒介する、非常に高度な機能を内包した原生雨林なのである。
外来生物から、既存の商人達を守るためには、明らかに保護がいるのである。このことに反対する人達はもういないだろう。放っておけば、在来種は亡んでいくのだから。外来種は地域に根ざすことなく、利益が上がらなければ、容易に他へ移っていく。新しさ、便利さや安さという華は魅力的だが、あるところは辛抱した方が良いのだが、それを訴える力は、か細い。
商店街の振興は、今日の地方行政の大きな柱でありながら、なかなかうまくいかないのは、これらの要素の組み合わせ方に、その土地の事情が絡んでいるためだろう。単に街並みを綺麗にしたところで、需要という日当たりが良くなるわけがない。見過ごされる土壌の問題、流通もかなり大きな問題なのだが、行政の頭の中では理解できないだろう。


小売業は難しい商売なのか

消費の停滞を背景に、スーパーは大きな困難に直面している。本部でも、店舗でも、立派な大学を卒業したメンバーが頭をひねっている。大変な努力、エネルギーである。周辺にはコンサルタントの先生方が、ああでもない、こうでもないと指導をしている。小売業というのは、こんなに難しい商売であるのだろうか。
スーパーは、適度な立地に大型店を配すれば、ほぼ間違いの少ない売上が期待できる、装置産業としての要素が強い事業である。課題となるのは生産性であり、供給を支配するパワー・ボリュームであるが、これも一定規模に達していれば、さほど難しい話ではない。
では、何が社員達を苦しめているのか。右肩上がりの成長期に入社して、今や役員、部長になった昔の常識に縛られた幹部達、管理志向が強く軍隊式の秩序を理想とする社員が、数字目標の達成を怒鳴ることが問題のすべてと言って過言ではない。
かつてスーパー業界、流通業界は社員の移動、引き抜きが横行し、仕入や販売のプロは自らの腕を磨き、組織に縛られずに生きていた。自由な発想、大胆な改革、こんなものが今の業界にあるのか、私には疑問でならない。

これから私なりの考察を述べていきたい。なお、表紙にあるように、本稿は特定の企業、店舗を対象としたものではない。

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