情報システムの期待と失望

POSの幻想


 POSによって集められる情報は、ちょっとしたスーパーなら、毎日、何百ページにもなる。とても読めるものではない。しかも困ったことに、同じような商品でも、パッケージが変わったり、安売り用に包装を変えたりすればコードが変わる。メーカー都合で、ほんのわずかの変更でコードを一新する場合もある。そうなると、データに連続性がなくなることが、しばしば生まれてくる。売れている商品が突然、データが消去されるように販売量0になる。継続性がないデータは比較するものを失い、解析のしようがなくなる。
 CVSのように死に筋を切るといっても、その間にコードが変わらないと言う前提があるからできるのである。生鮮品になれば、同じコードでも内実が変わっているから、売れているからといって仕入を増やすのには問題がある。

 POSのデータが仕入に使えるというのは、幻想でしかない。納入数とPOSを使えば、店内の在庫数が分かるというのも、客が商品を動かさない、あるいは店員が必ず定位置に陳列する、盗まれないが前提である。実態は売れて欠品したものは、なかなか補充されない。
 だいたいどこのスーパーでも、商品名や価格がきちんと、商品が置かれている棚に付いている方が少ない。パッケージに価格がついていない場合には、値段すらも分からない。
同じスーパーでも、同じ店内でも棚が同じではない、微妙に違う、商品も、先のとおり同じものでも微妙にサイズが変わるのである。マニュアルで作業はできない。
相変わらず人が管理しなければならない。人が発注しなければならない。POSによって店の何が合理化されたのか。レジ回りだけが大部分である。自分達が何をしているのかを、考えるべきであり、それが経営に反映されなければ、真なる意味での合理化にはならないのである。




カテゴリー・マネジメントに到達できず

 少し以前から、アメリカのスーパーではカテゴリー・マネジメントといわれる手法が普及しているという報道があり、業界誌でも大きく取り上げている。しかし、その内容はほとんど理解されず、当然、日本で効果を上げたという事例を寡聞にしてない。私自身の経験を踏まえながら、カテゴリー・マネジメントの問題を考える。

 10数年ほど前にDPP手法が紹介されたことがあった。マーケティング用語集では、「一括して計算され把握されていた物流経費、店舗オペレーションに関する費用、人件費、エネルギー・コストなどを可能な限り個別商品に賦課して、利益の把握を行おうとするもの」とある。DPPは日本では、試行した企業はあっても、あまりにも膨大な費用項目と変数要素があり、採り入れた小売業はなかった。
この商品の単位をどう考えるのかが問題だった。一アイテムではあまりにも膨大で無意味であり、部門では従来の損益計算と変わりはない。この時に考えられたのが、商品をカテゴリーで分類して、カテゴリー単位で日常的に収支、原価計算を行う方法が確立されたと思われる。カテゴリーを通じた売上と利益、顧客分析を結び付け、仕入関係、供給面の改善を図るものであっただろう。

 カテゴリーは商品の分類ではなく、カテゴリーは改良、改善を行う単位であるから意味が生じてきている。カテゴリーをいわゆる商品分類とすると、焦点がぼけてしまい、何を管理するのかが分からなくなる。納入業者単位、管理温度帯単位などの工夫が必要で、ある部分は部門横断的な取組みも必要になってくる。何と言っても店での供給方法、販売方法の標準化が行われていないと管理ができないため、カテゴリー単位で標準化を推し進めなくてはならない。この辺りで大体のスーパーは挫折する。

 結局、日本のスーパーでは商品管理や収支は非常に大まかな区分、どんぶり勘定になっていく。このため何か政策的なことを実施した効果が測れない。これでは投資もでき難くなる。我が国のスーパーは、開発途上国と同じレベルの管理しかできない。管理ができるのは、すべて納入業者が優秀だからである。納入業者が不良品を出さないように、スーパーが潰れないように商品をまわしているからである。




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