安売りのジレンマ

スーパーのモラル


 メーカーというのは本質的に自分の作っているものが一番だという気持ち、各種の思い入れがあり、今風に言えばオタク的な資質になる。卸売業というのは、安定した中での取引では、ほとんど利益を出し辛い性格があるので、変化を望む。市況のアップダウンの中で、自分の能力を試す傾向が強くあり、そういう意味では、実に博打うち的な要素がある。博打うちというのは、個人性が強いために組織としてまとめていくのには、ひどく難しい特徴がある。学問的にも、研究し難い分野である。
 では小売業は何かというと、消費者に自分の店で買ってもらわなければならないため、どうしてもある種の虚構を作らざる得ない。他にないとか、売り切れしそうだとか、今が一番安いとか。正直というものから一番、遠いが故に、江戸時代から正直が大切であることを力説することになる。ヨーカドーの伊藤さんは、さすがに、その点をよく知っているから、読んでいる方はちっとも面白くないが、彼の本には繰り返し、商売の原点として「正直」であれと発言している。
 スーパーというのは、もの言わぬ(セルフサービス)が故に、初期の頃は正直な商いと思われ消費者に歓迎された。現在はどうであろうか。見栄えの中で話したように、偽装が目立ち始めている。だんだん嘘が多くなってきた。そして大型店を構えて、ふんぞり返っている。お客が主役ではなく、店が主役、役員が主役になっている。納入業者を泣かせるだけで、商売をしなくなっている。零細なローカル・スーパーをも踏み潰していく。共存共栄なんて、どこにあるのか。そういう企業が目立っている。


安売りに追い詰められる

 スーパーは導入の初期から、アメリカのスーパーを真似たせいか、安売りを前面に出して、しゃにむに、大型店を出店していく。品質はイマイチだけど、価格は安いというイメージが作り込まれていく。
そしてスーパーとは、最初に果物売場があって、最後は惣菜売場で、真中のラック棚は加工品や雑貨の売場という形が刷り込まれる。この売場配置が容易には崩れ難くなった。確かに最近、惣菜やパンの売場を先頭に出す店が増えているが、それほど消費者から支持されているとは思えない。相変わらず机の上でのプランでしかないように見える。
 これらのイメージは、どこの店に行っても同じ、売場だけ見せられたら、ヨーカドーなのか、マルエツなのか、東急ストアなのか、ほとんど見分けがつかない、没個性的なスーパーができあがってしまった。
 もはやスーパーの今の販売スタイルでは、競争相手も同じスーパー、下手をすれば同じチェーンの店なのだから安売りができるはずがない。エブリデイ・ロー・プライスは、掛け声だけになっている。当然だろう、流通を全然いじらないで安売りができるわけがない。しかも、サービス合戦はひどくなる一方である。金のかかる話しか出てこない。周辺の小型スーパーを潰して自身が生き残るしか方法がなくなっている。
 安売りから抜け出たい、これがスーパーの経営者の切なる願いと言ってよい。スーパーの低迷は、決して不況だからではない。過当競争でもない。アイデンティの問題に突き当たっている。


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