品揃えの罠


日本のマス陳列

 日本のスーパーのアイテム数は優に数万点を数えるといわれている。数万点の品目について、それぞれ政策判断する、そんなことはありえないことである。
 スーパーの店頭には、大手メーカーの商品が、並べられているが、1フェース分しかない場合が圧倒的に多い。バックヤードに最近ではほとんど在庫を持たないのが通常で、特売品でも、かつては置いていたが、今はよほどかさばって陳列しきれない場合以外は少ない。陳列棚の奥行きでは商品にもよるが、せいぜい1ダース分だろう。何かの拍子に売れ始まったら、あっという間に品切れになる。そうなれば納品業者に猛烈な圧力がかかるが、売れなければ平気で返品している。これが実態である。
 数万点のアイテムにPOS情報を睨み、天候や催事を考えて発注することなのできるはずがない。できるはずがないことをやっているということは、機械的な補充がまかり通っていることを示している。
ここに壮大なロスが生じている。いくら納入業者を叩いても、納入業者も食べていくためには防衛手段として、いくつものガードを固めるしかない。利益率が高まる訳がない。本当のロス率が経営のトップに上がらないようになっている。経営者も見て見ぬふりをしている。
 日本に進出してきたカルフール、ウオルマートなどがなかなか成功できない理由は、日本的な食生活、消費生活、あるいは日本的な流通の故と、よく言われるが、この極端な無意味な品揃えが、原因の一つと思われる。売れても売れなくても、ともかく沢山ある、そういう眼で見られる。マス陳列の意味が日本では量を積上げるマスではなく、品揃えの量になっているところに、ある種の問題が潜んでいる。




膨大な品揃えロス

 私が詳しい青果物の話をすると、大型スーパーには、私でも、ようやく名前が分かる程度の品目が陳列されていることが、よくある。料理法は見当もつかない。当然のように売れない。
 調査で、ある大手のスーパーの閉店時にバックヤードにいたことがある。売場主任の若い人が、入ってきた商品を見ながら、「また、こんなものを仕入れやがって」と怒鳴っているのを見かけた。売れない野菜や果物を、どんどん棄てている。そこには有機野菜など、このスーパーが最も力を入れているものが大部分を占めている。端的に高いから売れないのである。
 消費者アンケートをすれば、答は必ず少々高くても美味しいもの、安全なものと回答される。しかし、現実は決してそうはならない。
 本部と現場の遊離、現場の声がスタッフに上がらない仕組みを大スーパーは抱え込んでしまった。非常に多くのスーパーでは、売り場主任は若い20代、バイヤーは脂の乗った30代半ば過ぎ。売場の担当者はバイヤーから売り方が悪いと怒鳴られる。バイヤーに文句が言える担当者はどれだけいるのだろうか。
 多くの錯覚が支配している。自分達の商品が良いから売れていると思っているバイヤーが多いが、実は他に買いに行けない、独占力で売上が立っている場合であることを知らない。いかに現場に権限を与えるか、いかに現場に商売をしてもらうかが、今、問われている。




言葉の流行によって翻弄される品揃え

 スーパーの品揃えは、しばしば言葉の流行によって変容していく。野菜の売場でいえば、有機野菜、無農薬野菜が流行っていた頃から、今は地場野菜が流行の中心にある。
 スーパーでは、これを「話題性」と呼ぶが、今でも、わけあり・こだわりの商品という言い方で、問屋からの提案をせっ突いている。
 このような流行は、消費者の目を引くためのものであるが故に、ほぼどのスーパー、生協ともに巻き込まれていくため、非常に大きなインパクトを流通側に与える。流行は決して長くは続かない。一時は、大変な勢いがあった有機野菜ブームも、今は普通のスーパーならば、ほとんど目立たない。
 流行が減退した理由の最大のものは価格であり、そんなにすぐに効果が現れるものではないことが大きかったのだろう。外食の方でも、枕詞のように使っている店もあるが、多くは興味を失っている。
このため有機野菜の価格は、業務用の世界では、一般野菜とほとんど価格は変わらずに流通しているのが現状である。まじめな生産者の打撃は非常に大きい。
 言葉を消費していくようには、供給側は対応できない。このことは不正を容易に発生しやすくしている面もある。流行に左右されるスーパー自身も、利益を上げられる部分は多くはないが、損はしていないのだから、やはり、責任の一端は被るべきである。