地域一番店主義の暴力

地域一番店


 スーパーの出店は社会的な地域の変動、人口や住宅、自動車の保有率などに影響される点もあるが、社会的な状況というのは、ある種の仕掛けで変化するものであり、変わった後から出店するのは手遅れなのだから、スーパー業界の流行というか、ある種の風潮が決めている部分が強くある。赤信号、皆で渡れば恐くない心理が、まったくないとは言い切れないところもある。
 スーパーの出店が相次いだ昭和30年代から40年代は私鉄沿線の開発と併行して、鉄道資本のスーパーが次々と駅前周辺に出店していった。西友、東急ストア、東武ストア、京浜ストア等々。
新駅周辺の出店が終わると、既存のJR(国鉄)の駅前などに出店しようとすると、商店街の激しい抵抗から郊外に場所を求めて幹線道路沿いに出店していく。駅前商店街の衰退が、旧市街地を中心に起きてくるのは昭和60年代になる。
競争の激化は、やがて辺鄙な地方、立地する都市だけの需要では到底、成立しない大規模商圏を想定した巨大な店舗の出店が開始される。先鞭をつけたのはダイエーだったが、現在はイオンである。そこで唱えられたのが地域一番店、地域内で最大の売り場面積を確保することで、ローカルのスーパーを踏み潰し、商圏を一手に手中にする作戦である。地域の小売の売り場面積を全部、合わせてもイオンの新店に敵わないという場合も少なくない。そうなれば地域の店は対抗できる手段は、ごく限られたものになる。
 売り場面積という絶対的な指標、圧倒的な品揃え、チェーンの力を使った特売により、失敗もあったが、多くの成功を収めたことも事実である。そして商店街が惨憺たる姿を見せ始めるのも、辛い現実である。
イオンはダイエーの二の舞になるというのが、業界雀の噂話であるが、イオンの潰れた後の地域は買い物に行く場所がない悲惨に付き合わされる恐怖が、漂っている。

ダイアモンドシティ・ミュー東京東村山市。延べ床面積15万u、駐車場台数4000台。核テナント 三越、ジャスコ。商圏105万人)

 欲しいものだけあれば良い、欲しい量だけ買える、車の止め易い、駐車場から歩く距離が短い、レジで長い列ができない、歩く距離が少なく、すぐに買い物ができる店が欲しい。そういうニーズに応える店作りとは逆方向の巨大店舗を争うように作られているのは何故なのだろうか。
 顧客は次第に、新たな小売業の出現を待ち望むようになり、最近では市街地に中型店が数多く見られるようにはなったが、まだ、そのフォーマットでの成功例は多くはない。



バックヤードの貧しさ

 スーパーのバックヤードを沢山、見ている訳ではないが、残念ながらアメリカで見るバックヤードとは雲泥の差がある。と言っても、多分、スーパーの方達は私の言っている意味が分からないだろう。
作業の仕組みとして研究されたことが我が国のスーパーではないのではないかと思うからである。バックヤードのレイアウト、台の位置、作業用の台車、冷蔵庫の位置関係、ほとんどが店によってバラバラである。標準化という考え方がない。
 サミット・ストアにおいても、生鮮のバックヤードに清潔感や衛生管理が徹底して行われている感じは、ほとんど見えてこない。床や天井も壁もお粗末である。
 金をかけたくない気持ちが露わであり、金をかけるものであるということすら思っていないのだろう。納品業者に対して細菌数が、品温が、と要求する水準を店が持っていない。
 ここにも現場の声が反映されない証拠がある。改善が図られない体質がある。血の滲むようなコストダウンを重ねていく中で、新しい仕組み、業態が生まれることを、スーパーの経営者は知らない。単にアメリカからコピーしてくるだけだから、内容が伴わないコピーになり、失敗を日本の流通慣習の所為にすることになる。
 バックヤードを革新する仕事を何故、外部の専門家を使って行わないのだろうかと思う。自前主義というのは日本の企業の特徴ではあるが、スピードとコストの両面からみればアウトソーシングする方が、効率性も生産性も高いのである。