あぶく銭〜拾得物〜


 大金、それも現在、通用しているお金がそこらに落ちているという現象ほどバブル期を代表する出来事はないでしょう。 後にも先にも、こんな大金が落ちていたということはないのですから。

  80年に1億円を廃品回収中に拾った大貫さんは、大騒ぎになってマスコミに生涯追いかけられることになりました。さすがに当時でも、これほどの幸運がなかったから当然でしょう。
 名乗り出るものが誰もいなかったことから、様々な噂が飛び交い、政治家の裏金とか、暴力団がらみだとか、仕手集団で、その頃、騒ぎになっていた誠備グループだとか、御曹司の穴埋めのための金だとか、推理小説まがいの話が週刊誌をにぎあわせました。

 そしてこれに終わらないところがバブル時代というもので、川崎の竹薮から最初に1億3千万円、そして同じ場所から9千万円、計、2億2千万円、棄てられた金庫から2億円と、立て続けに起きて、社会面のトップ記事にはなったけれど、最初の大貫さんほどには騒がれず、金銭的に麻痺状態、事件性が低いことから結局、どうなったのか報道されることはなかった。億という金が、恐ろしいほど軽い。

  

 大手企業は、エクイティ・ファイナンス、転換社債(CB)による資金調達の手法で、償還時に株でもらうか、金でもらうかを選べるものですが、株がガンガン上がっていた時代では、株でもらって売り飛ばすのが当然視されました。



 企業は日本銀行のように、株券さえ刷れば、返す心配もなく現金が手にできた。 転換社債が恐ろしいほど発行され、飛ぶように売れる。銀行は貸出先を探して、無理矢理にでも金持ちでなくとも、不動産さえ持っていれば貸し込む状態が、たった数年ですが起きます。 それは凄まじい金額、何十兆円にも膨らみ、バブル崩壊で、株が一挙に下がると、借金として圧し掛かってきた。
 不良債権では表されない、社債という名の借金に汲々とする結果になるのです。海外での起債も多かったので逃げるわけにもいかず苦しい、実に苦しい年月を送ることになるのです。回復に10年余の時間を費やすのは当然過ぎる話だったのです。