〜海を跨ぐ〜

バブルの最盛期に、海を跨ぐ壮大なプロジェクトが次々と完成し、舞い上がる気分を後押ししていきます。
まず、総数で3本掛けられた本州四国連絡橋です。

1988年(昭和63年)4月10日 児島・坂出ルート(瀬戸大橋)が全面開通。
1998年(平成10年)4月5日 明石海峡大橋開通。神戸・鳴門ルートが全面開通。
1999年(平成11年)5月1日 来島海峡大橋、多々羅大橋、新尾道大橋が開通し、尾道・今治ルート(瀬戸内しまなみ海道)が全面開通。

一号橋が架かった時は、大騒ぎでした。料金が高いので、期待した以上にはトラックの物流は増えないのですが、観光客は驚くべきほど増加します。両端に位置する町は悲喜こもごもで、特に四国側は大いに盛り上がります。開通に先立つ4月3日には瀬戸大橋開通前イベントとして「瀬戸大橋ブリッジウォーク」を開催。10万人が参加し、正午には、参加者全員で手をつなぎ本州と四国を約10kmの人の鎖で結んだのです。


しかし、本州四国連絡橋公団は5兆円にのぼる膨大な債務や出資金を抱え、小泉内閣で道路公団民営化の一環の中で、債務の切り離し、国税の投入などの措置が取られるなど、華やかな開通時の祭りに比べて厳しい残務処理が待ち受けるのです。

本州四国連絡橋:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B





同じ1988年3月に青函トンネルが開通します。中国四国連絡橋の開通と合わせて、北海道、四国、九州の全てが陸路で結ばれる快挙として、もてはやされ、世界最長の海底トンネル、世界最長の吊り橋として、我が国の土木技術の頂点を極め、大いに誇ったものです。総工費6890億円。後には壮大なる無駄と非難を浴びる結果になっていきます。青函連絡船の廃止は海峡を巡る様々な思い出から、最終航路は大変な人気を集めたものです。


青函トンネルhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%87%BD%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB




時代は大きく下り、バブル崩壊の煽りで不況に喘ぐ土木業界に、不況対策を多分に盛り込んだ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の建設が、不必要の合唱の中を強引に推し進められます。1997年12月18日に開通します。総工費約1兆4,409億円。この莫大な投資から、高額な料金設定もあり、その後、値下げはしたものの、物流での使用は少なく、専ら観光用。それでも交通量は現在でも採算を大きく割り込む状態が続いています。

東京湾アクアラインhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B9%BE%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3