あぶく銭〜湾岸戦争



1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、アメリカ合衆国が中心となって、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争です。「砂漠の嵐」作戦 operation desert storm と呼ばれた空爆、「砂漠の盾」作戦と呼ばれた多国籍軍50万人の包囲戦、「砂漠の剣」という名の地上戦で構成されますが、2月24日に地上戦に突入。連合軍はたった100時間でイラクを降伏させます。この戦争は、アメリカにとってはベトナム戦争で傷ついた威信、国民の反戦気分を一掃させ、熱狂的な支持を得たこと、コンピュータ・ゲーム戦争とも称されるように、痛みを伴わない空爆によって破壊が行われ、イラク側の戦死者は10万とも15万ともいわれますが、連合軍側の死者は149名でしかなかった。以降、アメリカは戦争へのブレーキが外され、積極的に紛争に介入するようになります。


     

この戦争が、何故、バブル、あぶく銭なのかというと、米政府が同盟国として戦争への協力と戦費の拠出を求めてきた時、日本政府(海部俊樹内閣)はパニック状態になります。戦争への協力は憲法上できないという立場で、政府は8月30日に多国籍軍への10億ドルの資金協力を決定、9月14日にも10億ドルの追加資金と紛争周辺3か国への20億ドルの経済援助を、さらに開戦後の1月24日に多国籍軍へ90億ドルの追加資金を決定し、多国籍軍に対しては計130億ドル(さらに、為替相場の変動により目減りがあったとして5億ドル追加)総額135億ドルもの多額の資金援助を行ったのです。資金負担という面から見ればアメリカ、サウジアラビアに次ぐ第3位でありながら、参戦国からは金だけ出す姿勢を非難され、戦後、クウェートが参戦国などに対して感謝決議を出しますが、日本はその対象にすら入らないという外交的屈辱を受けたのです。

1兆7千億円にのぼる巨額の金が、それほどの国内批判もなく支払われ、その用途も不明なまま費消されたのです。海部内閣の幹事長だった小沢一郎がすべてを取り仕切ったのです。一説によれば、100億ドルがアメリカに支払われ、20億ドルが多国籍軍に、残りの15億ドル(1800億円)は使途不明だそうです。実に
バブルぽい。