あぶく銭〜海外旅行:ブランド品の買い漁り〜

マドリッド空港

「真説バブル」に書かれていた文章から引用します。

日本企業のリゾート事業を後押ししたのが、円高による内外価格差を背景に、異常なほど過熱した日本人の海外旅行ブームだった。
海外旅行者数は87、88年と連続して20%を超える増加を記録し、86年の550万人から、90年にはついに年間1000万人を突破する。
女子大生やOLは海外旅行に出かけるたびに、国内デパートでは割高なシャネル、ルイ・ヴィトン、フェラガモといった海外高級ブランドのバックや洋服を買い漁った。

  

旅行代理店も、ここぞとばかりに国民の旅行心を引き出そうと、ユニークなツアーを次々と生み出した。
会社を一日休むだけで、海外旅行に出られる木曜夜出発・3泊4日の「ハナモクツアー」、事前に旅行費を渡航先の高金利通貨で運用し、現地での遊興費を殖やそうという「財テクツアー」など、海外に駆り立てるあの手この手のサービスが登場した。

主役は女性ばかりではなく、日本人男性によるアジア・太平洋諸国への「買春ツアー」が国際的な非難を浴びた。

行政も対外黒字減らしを名目に、86年に定年退職した人たちが60歳過ぎてもらえる年金で、日本よりもっと広々したところで、気候も良く、物価も安い、そして治安もさほど悪くない、カナダ、スペイン、オーストらリアと言ったところに移住して)ハッピーリタイヤーをお勧めする
「シルバー・コロンビア計画」を、87年には海外旅行者を1000万人に増やす「テン・ミリオン計画」を打ち出すなど、官民一体の海外リゾート進出計画であった(一部、省略)。

シルバーコロンビア計画の中で一番人気はオーストラリアで、日本人の老人のための住宅地が買い漁られ、地価が高騰。その上、移住する人々が地域との交流をしないために、日本は老人を輸出するという非難が激しくなっていきます。一方、移住した人達も、孤立した生活に耐え切れず、日本に帰国という光景が続出、残った人々も、金利の大幅なダウン、株価の下落で生活が吹っ飛び、すべては夢の彼方に沈んだのです。


バブル崩壊後も、円高は止まらず、海外旅行者数は1千万人の大台を維持したまま今日に至っています。
ソ連崩壊後のロシアにも、買春ツアーが頻繁に出ていたのを覚えています。


海外隠居/海外に漂着する人々
 激しい円高から、リタイアした後に物価の安い海外で暮らそうという話が出てきます。日本での住宅を売り払えば相当にまとまった金が手に入るし、年金も大企業に勤めていれば海外で暮らすのに十二分なほどにもなるという計算からなのですが、南の国々、治安の良いオーストラリアが一番人気でしたが、バリ島などのアジアの観光地に人気が集まります。
 このためにオーストラリアの地価が上昇したという話も出て、海外ではもろ手を挙げて歓迎されませんでした。まぁ、企業の海外進出、ゴルフ場やホテルなどの買収と重なる面も濃くありました。現在でもオーストラリアでの永住権・海外移住のサポートをする企業がありますが、当時はそういうサービスをする企業はほとんどなく、いろいろなトラブルがあったようです。
これは現在のサポート企業AERのHPの画像
 バブル崩壊はこれらの人々にも大きな衝撃を与えました。日本での資産を失うことで生活が不安定になった人もいたでしょうし、年金も企業年金の部分が会社の倒産などで大きく目減りしたこともあったでしょう。そういう経済的な問題以外にも、環境こそ素晴らしいものがあっても、周囲に日本語を話せる人がいない、病院などの施設や医療の質等、思い描いていた老後とは異なる場合が多くあり、日本に逃げ帰るような事例が頻発します。それがまたトラブルを引き起こすこともありました。これもバブルの余波であり、このトラブルを避けようとする形で現在のサポート会社ができてくる流れです。

 そういわば富裕層のリタイアに対して、主に東南アジアの国々に、様々な事情から漂着する人が出てきます。浜なつ子さんがレポートしたのはマニラ、フィリピーナの物語ですが、バンコクからの報告があります。海外から日本にやってきた女性との結婚からアジアに嵌っていく、取り込まれ、身ぐるみ剥がされた後も、日本に帰れなくなった男達や、海外放浪の果てに、女のヒモのように、あるいは日本から来る旅行者相手に日銭を稼ぐ姿が綴られます。

 バンコクにはこういう日本の男達、少し女性も混じっているようですが、集まる長期滞在のホテルがあるようです。上に書いた玉本氏は彼らの元祖なのでしょう。