あぶく銭〜メセナ〜

 企業の社会的貢献(メセナ)が言われ始めたのは、70年代の公害問題あたりからだったように思います。ただ、貧しい時代はそんなことは言ってられませんから、やはり80年代の豊かさが社会に広がり、西武=セゾングループがショッピング・センターの開発に地域開発を強く打ち出した辺りから風潮として強まっていったと言えるのではないかと思います。ここらの事情について、論文はあるのでしょうが、書籍として出版されたものは見たことがありません。 言える事は流行と景気に強く左右されるもので、バブルの頃は豊富というか、自由になる金が桁外れに大きかった関係で、効果も何も関係なく、担当者の道楽というか、関心だけで何でもできた時代であったことです。
 メセナを語る前に、ハイブローな人々、高額所得者層であり、インテリというか、高級な人々にとって、国では明治以来、欧米の貴族的な趣味こそが鍵となっていまして、その端的な現われがクラッシック音楽でした。クラッシック音楽はポピュラー音楽や黒人音楽を基盤とするジャズやロックとは別な位置づけであり、クラッシック音楽の振興は、豊かさが社会に浸透する中で独特の意味を持ちます。80年代に入ってから、コンサートホールが各地に大量に作られます。以下はその事例です。
   81年 ベガホール(宝塚) 
   82年 簡易保険ホール(五反田)、ゼ・シンフォニーホール(大阪)
   83年 音楽の友ホール、国立音大講堂、ノバ・ホール(筑波)
   85年 アラビック・センター
   86年 サントリーホール 
   87年 主婦の友カザルス・ホール、パルテノン多摩、IMAホール(光が丘)
   88年 津田ホール、八ヶ岳高原音楽ホール
   89年 オーチャードホール
 これらのホールの特徴は、それまでのホールが演奏会以外にも使用できる多目的ホールであり、演奏会としての建物としては音響効果も含めて徹底できなかったのが、コンサートに特化したものであること、大都市以外の場所にも建設されたことがあります。メセナという形で企業が建設したものもありましたし、地方自治体も盛んに建設し、
コンサートホール・ブームというべき状況がバブル時代はもとより、バブル崩壊以降でも景気対策の大量の資金が地方自治体に投入されたために相当に長く続くことになりました。
 この現象は、美術館や博物館でも同じで、各地にこれらの施設が大量に作られることになりました。
オーチャードホール

 ホールの建設は、演奏会が大量に行われるようになることにも繋がり、大ホールでは外国人演奏家を招くことが以前とは比べられないほど盛んになっていきます。高額のホール建設と維持のために、入場料もうなぎ登りになり、有名演奏家を招く費用も、上昇していくことになりました。欧米の演奏家にとっても、日本に非常に大きなマーケットが生まれたことで、稼ぎ場としての意味合いが濃くなったのかもしれません。ともかく有名演奏家が次々と来日、聴く方の財布も、すっからかんで、よくまぁ、こんなに高くても客が入るなと思ったものです。
 この時代の来日演奏家で有名だったのは幻のピアニストと呼ばれ、誰でもが諦めていた巨匠ホロヴィッツの83年の初来日、入場料5万円。瞬く間に売り切れるというバブル前ながらの現象が引き起こされます。
 また、ソ連の若きショパン・コンクールの覇者ブーニンが86年来日します。一世紀に一人出るかどうかの天才という呼び声で、甘いマスクも手伝って入場券を奪い合う事態にもなりました。異様な雰囲気でした。本人はソ連崩壊の数年前の88年に西ドイツに亡命します。

ホロヴィッツ                ブーニン

 大ホールの建設は、歌劇場の引越し来日公演という形も生まれて来ることにもなりました。海外に行かなければ経験できないオペラが国内の、目の前で繰り広げられるという感動がどれだけのものであったのか分かりませんが、にわかに
オペラブームが起きてきます。 80年代に来日公演された代表的なものは以下のとおりです。
  ベルリン国立歌劇場 80年
  ウィーン国立歌劇場 80年、86年
  ドレスデン国立歌劇場  81年
  ミラノスカラ座  81年、88年
  ウィーン・フォルクス・オーバー 82年 89年
  ウィーン・ブルグ劇場 83年
  ハンブルグ国立歌劇場 85年
  プラハ国立歌劇場  85年
  英国ロイヤル・オペラ 86年
  ベルリン・ドイツ・オペラ  87年
  メトロポリタン歌劇場 88年
  バイエルン国立歌劇場 88年
  セントルイス歌劇場 88年
  ボリショイ歌劇場 89年
  バイロイト祝祭劇場 89年
 89年にはカナダのアィーダ公演(東京ドーム)、イギリスのカルメン公演、ヴェローナのアィーダ公演が代々木のオリンピック記念体育館で行われました。こりゃあ一体なんだという感じですが・・・。
ウイーン国立歌劇場日本公演サロメ

 こういったクことが背景にあるのでしょう。81年に映画ディーバ(Deva)が公開され、クラシックの歌姫に対する流行が起きます。TVのCMにも使用されたりします。 これがやがて企業の社会貢献(メセナ)の対象を選ぶ時に大きな選択肢としてクラッシクの歌手が浮上する契機になります。


                     日本ユニシスHP

 イベント関係で企業名の冠をつけるという形が頻繁に見られ、スポーツ関係、芸術関係では目白押しでした。芸術では、クラシックがなんとなくハイソで、格好が良かったので各国のオーケストラ、ベルリン・フィルや、オペラ、バレーが招聘されます。入場料が数万円のものが目白押し。93年のメトロポリタン・オペラでは、S席が5万円、A席が4万3千円。こんなのばかりでした。驚くべきことに高い方から売れていく。高くて私なんかは行けませんでしたが。世界三大テナーと呼ばれたパヴァロッテイ、カレーラス、ドミンゴの揃い踏みがみられたのはバブル崩壊後、まもなくだったように思います。小沢征爾や岩城宏之など日本人指揮者はひっぱりだこ。大晦日に第九の競演が華々しかったのも、この時代だったように思います。 こういう企業のニーズに応えるような代理店やらが、わさわさ生まれました。
トリノオリンピックでのパヴァロッティですが

 イベントによる大量集客が、世界的にも注目される時代です。もはや単に商品を並べるだけでは、顧客が集まらない。このために積極的にイベントを主催したり、イベントに冠をつけたり、イベントの広告に出稿する形が広く生まれてきます。
 その先頭にたっていたのがセゾンでした。西武美術館(現在は軽井沢に、セゾン現代美術館)は、1975年に池袋店が増築された際に、最上階の12階に企画展専用スペースとしてつくられたものですが、いわゆる百貨店の日本人画家の絵画や版画などの美術品を売るスペースとしてではなく、現代美術の企画展示として、華々しい宣伝と動員を達成していくのです。それが嚆矢となって、百貨店の店内に次々と美術館がオープンします。小売業の文化事業という事で、各種の展覧会が開かれますが、各国の国立博物館や美術館は百貨店に貸出すのを嫌がることもあって、随分、マイナーな人の展覧会もありました。きっと二度と日本で大規模な展覧会が行われないだろうと思われる人もいました。西武美術館はアールヴィヴァンという美術雑誌も作り出します。

「日本現代美術の展望」展の入り口
 セゾンに負けまいと、渋谷の東急文化村もこの時に作られました。

 ここまでの規模では行わないけれど、下のようにビルの一角での美術展示もかなり多かったようです。


雑誌「FP」91年3月号 企業メセナ最新事例より

 ここに芹沢高志氏の名前があります。最近ではアサヒ・ビールの企業メセナのプロデューサーをやっているようで、リンクを貼っておきますので、関心のある方はどうぞ。
 企業メセナは不況になっても、引き続きやり続けた企業と撤退した企業、あるいは一時取り止めたが、また、復活した企業などそれぞれですが、イメージを大切に する高級消費財メーカーに加え、消費者の生活に入り込む食品・電化製品などの一般消費財を扱う企業も、独創的なメセナ活動を展開しており、企業メセナ協議会という団体まであるところが、実に日本らしいところです。