キャバクラ、ホストクラブ、ゲイ・ホモ、レズビアン
 性に関わる世界の中で地殻変動が起きてきます。性の文化を引っ張り続けてきた中高年の男性、若年層の間に意識が変化し始め、若年層は二次元、画像への妄想を次第に濃くしていきます。中高年層もまた、マニアが析出されていき、それ以外は不況の影響から、外で遊べなくなっていく形に変容して行きます。

 キャバクラは変容し、衰弱する性の最終ランナーとして現れます。キャバクラが風俗業界のトップに躍り出た後に、そのキャバクラ嬢達のストレスの発散と、彼女達が稼ぎ出す金を食い物にしようという形でホストクラブが隆盛を迎えます。ここには、崩壊したバブルの残り香が漂っています。いわば遅れてきたバブルであり、喪われたバブルのようであります。ある種、奇妙な感じが濃くするものです。

キャバクラ
 80年代の半ばに現れた風俗とWikiに書かれていますが、バブルの真っ最中に大きな話題になったことはなく、バブル崩壊以降の代表的な風俗になります。まぁ、バブルの有無に関係なく私には縁遠いというか、モテもしないのに、バカみたいに金使うのはどうかと。身体に触らせてくれもしないのに、若い娘と何を話すのかというのは私の気分ですので、それはさておき、キャバクラに熱中したのは20〜30代の男の子達だったです。女が強い時代で、容姿や喋りに自信がない男の子達にとっては女神様のようでありました。女の子達にとっては、良いバイトだったのではないかと。リスクがまったくなかった訳ではなく、ストーカー被害や、殺人事件も起きます。若い人達には分からんでしょうが、明らかに以前の風俗と内容が変わってきています。以前は、なんだかんだ言っても売春が最終目的で、キャバクラのように酒の相手がメインではないからです。仕事の内容の軽さが大量のキャバクラ嬢を生み出し、キャバクラが林立します。
 元々、キャバクラというのはキャバレーとクラブを合成した言葉で、「キャバレーのような明朗な時間制料金で、クラブの高級感を合わせ持つことを意図したもの」と書かれていますが、キャバレーも昭和40年代の最盛期において決して明朗会計ではなかったかとは思うのですが、それはさておき、キャバレーにしろ、クラブにしろ、ホステスさんとダンスを踊るのがサービスの一つの柱であったのですが、キャバクラにはそれが抜け落ちており、唯一ショーがあるという程度です。かつてのキャバレーのショーが歌や踊り、中でも踊りはストリップに近いものであったのに比して、キャバクラのショーは我々の世代から見ると、おとなしいというか、綺麗というか、かつてのキャバレーには中年の女性が多く含まれていたのに比して若い娘ばかりという特徴があります。キャバクラというのはキャバレーやクラブの発展したものではなく、新たな風俗というべきものです。昔のキャバレーは「思い出の暗がり」を参照してください。

六本木クラブチック
六本木グランクリュ
 潜入動画なんてのもあるんですなぁ・・・下は風俗案内から。この国籍不明ながら、明らかに日本人という変なものこそ、この時代の風俗の特徴です。そういえば巷では、下着のレースの部分がチラチラ見えるというワケワカメが流行していましたなぁ。それと女性のほとんどが茶髪にするというのもブームで、黒髪がなくなるという珍現象もありました。
     


 2014年に風俗街を歩いていて、キャバクラの紹介があって、そこにキャバクラMapがありましたので参考までに。この時点では2000年頃のように黒服が寄ってくることもありませんし、流行からは随分遠くなっていますが、それでも歌舞伎町にこれだけの店が溢れているというか、女の子で飲み客を釣ろうとする店は必然的にキャバクラになっているというべきなのかもしれません。これ以外に六本木、渋谷のMapがあり、同じように店が大量に掲載されています。

ホストクラブ
 風俗の世界で、今や全盛期を誇ると言っても良いのがホストクラブですが、ホストクラブが社会の表面に出てくるのは90年代の半ばくらいではなかったかと思います。それまでホストクラブといえば、「中年女性向けのいかがわしい店」であり、ゲイバー、レズビアン・バー、SMクラブと同じくらいのヤバさで、素人が近づける場所ではなかったのです。ところが、どういう切欠か、ホストクラブの客に風俗の女性、ソープランドやキャバクラ嬢が加わり始め、様相が変わっていきます。年代がいっきに若返っていくのです。
 多分、その前後であったでしょうか、女に貢がれ、その上にSexまでできるという若い男にとっては夢見たいな話に引っ掛けた詐欺、出張ホスト詐欺が横行します。「出張ホスト詐欺とは、女性と付き合ってセックスすることでお金がもらえるという、夢のような話で募集をし、最初に入会料や登録料の名目で3〜30万円くらいのお金を取る。仕事はほとんどなく、あっても依頼がきたと派遣するのだが、待ち合わせ場所に現れた女性は50代ぐらいのおばあさんで、とてもラブホテルに行くことはできないと断ると、慰謝料としてさらにお金を請求されることになる。」というものです。これが不況で良い仕事がなくなる中で、相当数の若い男の子が引っ掛かる。警察にも恥ずかしくてなかなか行けないという、まぁ、しょうもない事件が起きます。このことがホストクラブという存在に世間が関心を寄せる切欠になっていきます。


 ホストクラブのお客が風俗の女性ということも雑誌やスポーツ誌に取り上げられるようになると、月収が何百万にも達する成功したホストに強い関心が集まり、今日の隆盛に向って脚光を浴びる状況に至ります。最近では韓流ブームの影響もあって、韓国人ホストも多くいるようです。下は歌舞伎座のホスト街の看板ですが、キャバクラなどよりも、臆面も無く顔を晒し、夜ともなれば路上で群れている様子は一種、異様なものになっています。ここまでになるのは、多分、2000年過ぎではないかと思われます。

写真は上下ともに森山大道

 上の写真は90年代の半ばくらいでしょうか?現在は下の写真用にド派手なものになっています。



World Order の Change of Life

新宿歌舞伎町のホストクラブの看板
私のような年齢の人間からすると実に奇怪な顔ですが・・・。
風俗案内から

 ホストクラブを巡っては、漫画や映画も作られ、TVのドキュメントにも、たびたびその生態が報道されています。 普通の主婦やOLが宴会やパーティの流れでホストクラブに乗り込み、それで嵌るという話も伝えられています。 当然、金はサラ金からということで、借金地獄に陥る話が出てくるという、相も変らぬ惨状です。また、それをネタにした文章で売りを作るという、ワケワカメの作家が出てくる、実に現代らしい話です。彼らは一様に黒服、まるで制服と化していましたから一目でホストと分かります。 良い若い者が何をしているのかという感じしか私のような人間にはありません。
 女が男を買う時代になったという事実と、ホストという世界の、ひどく体育会系の上下関係と競争は、極東の文化の果てる先を見る感じがしないではありません。

 
 
土田世紀「ギラギラ」

東鍋昌平「闇金ウシジマくん」

ゲイバーのフロア・ショー
 TVなどに女装した男性、ゲイが活発に取り上げられる時代の風潮の中で、ゲイバーにその趣味でない人達、男性も女性も殺到するようになります。壁は著しく低くなっていきます。これらの客目当てにフロア・フォーが登場します。レビュー以来、遠ざかっていたショーが復活する。かつて女の裸に殺到してショーは二の次だったのとは異なり、ショーを純然に楽しむ形になったのです。これはほぼ同時代に出現するSMショーも同じであったでしょう。かつて異端であり、密やかなものであったものが、ゆるやかな形で表舞台に戻ってきたのです。ハードはとことんハードに、こちらは完全な闇の中になりました。
GORO 1989.12.27号

夜間飛行                           Motel#203 資料 東京通本
三橋順子「女装と日本人」

プティシャトー 宮崎留美子のページから

 先日、谷本捷三氏のテレビ番組が放映されていまして、谷本氏の消息を知りました。ニューハーフのフロアー・ショーで六本木の帝王、まぁ、こう称される人は多いのですが、バブル崩壊の中で金魚などのショーパブでユニークな舞台が多くの人を惹き付けていたとのことです。下は忍ぶ会でのショーの模様です。
六本木金魚

 西原さんらしいドぎつさはありますが、まぁ、ニューハフではなく、オカマと言えばこちらかも。

西原理恵子「西原理恵子の太腕繁盛記」



Drag Queen ドラァグ・クイーン
 まずは知らない人のために、男性の同性愛者がドレスやハイヒールなどの派手な衣裳と、厚化粧で、ことさらに大仰な態度を取る形のパフォーマンスで、ゲイ文化の一つです。
 Wikiから。『日本におけるドラァグクイーン第一号は、ミス・グロリアスだと言われている。ミス・グロリアスは90年代初頭から京都を拠点にしてドラァグを広めていく。同じ頃、東京ではマーガレットこと小倉東がアメリカのゲイ文化としてのドラァグを紹介していた。そして関西では「Diamonds Are Forever」というクラブイベント、関東では「Gold」という伝説的クラブでドラァグを行う者が多く現れ始めた。』
 派手な服装と毒舌を特徴とするおかま文化は昔からありますが、アメリカの影響が濃くあることも特徴で、70年代Avagaldで紹介したディヴァインが、ドラァグ・クイーンの先頭を切るものです。

マーガレットさん
 
東京を代表するドラァグクイーンとして、メイクアップアーティスト、ライター、ゲイスタイル・マガジン「ファビラス」編集長など様々な顔を持つ。

                                                             クリスティーヌ・ダイゴ
ヴィヴァイン佐藤
 ゲイバーのフロア・ショーは明らかにDrag Queenの影響を受けていると思われます。
Let Me Be A Drag Queen

Starlight Cabaret Drag Queen Show 2010 - Black Woman Striptease
 当時、世界的にヒットしたロック・ミュージカル「ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ」を紹介しておきます。日本ではどうだったのか、よく分かりませんが、私はTVで深夜に放送されたのを見ました。架空のバンドらしいですが、東ドイツ生まれ、ゲイそして売れないミュージシャンの痛々しさ、愛を求めて流離う悲劇性を内に含むものでした。


ホモ・セクシュアル
 ホモの性行為を露骨に見せた実験映画から離れたホモセクシュアルの恋愛映画が多数作られるのは、90年代まで待つことになります。ゲイ映画のカタログ及び配給先の中でゲイの心象風景的なフィルムを多く提供しているBRYCE(ブライス)の名をあげておきます。


ゲイ映画「あなたが好きです、大好きです」 別冊歴史読本「ニッポンの性」から

 おかま系がショー化すると同時にホモ系もショー化が進みます。
ArcH:資料 東京通本


レズビアン Lesbian

 レズビアンが表の世界に、浮上してくるのも、この時代の特質です。そこはかな雰囲気がかもし出されてくるのは、吉田秋生の漫画「櫻の園」とその映画化でありました。吉田秋生の漫画には以前、紹介した「吉祥天女」にも、女性同士のいたわりあいの様な微妙な感情が流れています。
映画「櫻の園」
 この微妙さが、男の妄想が作るレズビアンではなく、女性が「みれる」作品や出版物が出てくるのは2000年前後くらいではないかと思います。下の2冊の雑誌も2000年前後に出版され数年で休刊したものです。


  
サイゾー2010.12

 これは最近の事情を特集したものです。また、やまじえびねの漫画はレズビアンものとしては、女性の目線で描かれるものです。彼女の原作を基にした映画の方はどうなのか、見てないので分かりません。タブーが完全に打ち破れている訳ではありませんが、性同一性障害という名の下に、ある種の社会的な許容が始まっています。下は松浦理英子原作の「ナチュラル・ウーマン」を映画化したものです。小説は96年、映画は2010年公開です。