絶対悪への憧れ

 酒鬼薔薇聖斗による神戸の殺人事件は若者達に、ある種の共感を生み出していったことが、彼と同世代に多くの殺人事件を引き起こしていくことになります。そこにはある種、絶対的な悪への憧れがあったように思います。当時の犯人の1人が言った言葉です。「何故、人を殺してはいけないんですか」、「一度、人を殺してみたかった」。
 ここに都市伝説が紛れ込み、ホラー小説、ホラー映画の大ブームを引き起こします。その先頭に立ったのが鈴木光司のミステリーであり、「リング」、「らせん」、「ループ」のリング・シリーズ三部作を始め、「仄暗い水の底から」などがあり、いづれも映画化されます。
 またホラー小説では、貴志祐介も、この時代に大きく取り上げられ、「ISOLA」、「黒い家」、「青の炎」などが代表作です。中でも黒い家は保険金殺人の中で取り上げました。
 映画では黒沢清監督です。ジャパニーズ・ホラー、和製ホラーとも言われ、アメリカで再映画化もされます。「CURE」(97年)、「回路」が代表作です。その他に清水崇監督「呪怨」もあり、アメリカのゾンビ映画を中心としたホラーの衰退期を補完する形で和製ホラーが登場していくことになりました。


        

呪怨
CURE
The Ring

呪いのビデオ


 ここには最初に述べたように絶対的な悪への志向が強くあり、かつての怪談もの、因果応報をベースにしたものとは違う、独特の彩をもっていたことです。恐怖と残忍さへの強い共感ともいうべきもので、背筋が凍る恐怖体験の中に燃え上がっていく情念、従来の意味を求める衝動とは異なる理屈を超えた何かを求めていくものを孕んでいたように思います。これらのJホラーという映像ジャンルが、コストがかかる映画館での公開を前提とせず、作品に資金のほとんどを注入する、ビデオ販売を主力としたVシネマから登場してくるのも、この時代を象徴するものです。
 2006年くらいから、名前を書いた人間を死なせることができるというデスノートという漫画が流行し、映画化もされます。私は漫画も映画も見ていないので、何も言えませんが、ビデオのほうが恐い感じがしました。
  
                                        古谷実「わにとかげきす」
 2007年に公開されるバイオハザードなんかも典型的なもので、バイオテクノロジーの恐怖と世界崩壊が、ゾンビものと組み合い、独特の世界を構築します。80年代の流行が根強い形で残り、21世紀にも持ち越されていきます。SFXを駆使したアニメの実写化が盛んになります。
バイハザード アンブレラ・クロニクルズ
 この花沢健吾の「アイアムヒーロー」も漫画の表現で、映画表現を超える残酷さを演出しています。
花沢健吾「アイアムアヒーロー」

美術の変容
 この時代は美術分野で独特の捩れが生じていて、女子高生や幼児性愛も既に普通の形ではありません。絵画表現にもどこかドロドロしたものが入ってきます。
市場大介 

絶対醜悪への跳躍
 2000年前後に奇妙なファッションが大流行します。先に始まったのはガングロ(顔黒)と呼ばれるもので、 髪の毛を金髪かオレンジ色に脱色し、肌を黒くするというスタイルで、日本独自に現われ、海外に波及することがなかったものです。 このガングロの発展系がヤマンバと呼ばれたファッションです。山姥ならぬヤマンバなのですが、真っ黒な肌と白い唇、淡い色のアイメイクをほどこし、眼の下にはメタリックなラインストーンをつけたり、明るい色のサークルコンタクトをつけ、服装はプラスチックの蛍光色の服に、ハワイ風のレイなど、不釣り合いなアクセサリーを身につけるのが特徴だそうです(Wikiから)。この流行は結構、長く続き、彼女達向けのファッション誌まで登場します。汚ギャルなんていう言い方もありました。

これは割りと普通ポイですな。   


 まぁ、何すかねぇ、この流行は。素顔は全然、普通の若い女の子ですから、ある種の仮面であったでしょうし、 一方にある強烈な清潔志向と、ある種の醜悪さへの強い指向があったのでしょう。 ある種の自己破壊的な自己表現であり、彼女たちの意識しない何かが表出してきたようにも思います。 大人の私なんかからすると、ただ呆れるばかりの流行で、ある種、恐れともいうべき感情がありました。

茶髪ブーム
 忘れないうちに付け加えておきますが、同じ頃、茶髪ブームが起き、日本女性の髪が茶色に染まり、黒髪がほとんど消えるという珍現象がおきました。多分、数年は続きました。Wikiによれば、80年代のサーファー・ブームやら、サッカーJリーグ、コギャル・ブームが要因だそうですが、本当かなぁ・・・・。そんなこととは無縁の年寄りでも誰でも茶髪にしたんですが・・・・。人気絶頂のモーニング娘でも黒髪は少数派です。

当時、人気絶頂のモーニング娘