スキャンダルの大盤振る舞い、損失補填、末野興産、コスモ信組、東洋信用金庫、尾上縫


バブルの前後から金にからむスキャンダルが連発します。これまでにも、豊田商事事件、茨城CC事件、リクルート事件、蛇の目ミシンなどの総会屋による乗っ取り、恐喝事件の話をしました。それ以外にも、

富士銀行赤坂支店を舞台にした巨額不正融資事件  7160億円
第一勧業銀行麹町支店の不正融資事件 88年発覚 35億円

・本州製紙の株価操作に係る事件
 Wikipediaから、1980年代、加藤ロは、仕手集団「誠備グループ」を率い、宮地鉄工所、岡本理研ゴム、安藤建設、石井鉄工所、丸善、日立精機、不二家、西華産業、カルピスなどの株の買占めに走り、企業側から高値で引取らせるなどを通じて影響力を強めていきます。加藤が手掛けた銘柄は、加藤銘柄、誠備銘柄などと呼ばれ、どれも大きく値上がりしたことで話題を呼び、加藤の影だけで相場が踊りました。一度は逮捕されますが、出所後のバブル期には一層、動きを強めます。1989年、稲川会会長・石井進と組んで、「バブル期最後の戦い」といわれた、本州製紙(現・王子製紙)の仕手戦を仕掛けます。しかし、石井の病死などで加藤を支える人脈が崩壊、1990年にはバブルも崩壊、終焉を迎えます。

東急電鉄株の株価操作に係る事件
 東急グループの総帥であり、日本商工会議所の会頭を勤めた五島昇の死(91年)を切欠に起きた集団指導体制への移行を睨んで、株の買占め事件が起きます。その中心にいたのが稲川会の石井進でした。野村證券、日興證券から362億円、岩間カントリーの実体なき会員資格保証金預かり証券から384億円、この預り証券の引き受けてに名を連ねたのが、ゼネコンの青木建設、間組、東京佐川急便、そして仕手集団でした。東急電鉄も石井の死によって終焉します。

・証券会社の損失補填事件 総額2164億円
 これは飛ばしと呼ばれる優良顧客の株暴落による被害を最小限にとどめるために、損失を他の口座に移してしまうものです。一般顧客の憤激から、証券会社の幹部が腹を切らされる、つまりは辞職と平謝りということになります。この頃から、記者会見で幹部が一斉に頭を下げるというのが一般化します。
野村證券田淵節也会長
住専に関わる事件
 長い時間が経ってしまうと、住専問題といっても分からない人が多くなっていると思いますが、80年代に入ると企業は直接金融を強めていき、銀行は貸出先の確保が困難になって行きます。これに代わって個人向けの貸出、中でも住宅ローンが注目され、そのために住宅専門の金融機関が大手銀行をバックに設立されたのが、住専7社でした。当初はそれこそ住宅ローンを主力としていたのですが、バブル期に入る頃から不動産投資に突っ込んでいくのも、バックにいた銀行が、自分達では融資するのにリスクが高すぎる物件を住専に回すようになったことです。
 不良物件が多かったことから、バブル崩壊後、住専を破綻に追い込まれるのは、相当に早く93、94年頃には大蔵省では大きな問題となっていました。住専7社の負債総額は13兆1900億円にのぼり、母体となった都市銀行の経営を揺るがし、金融システムの維持が不安になります。
 このために大蔵省は住専処理法として6850億円を計上するのですが、それに激しく国民は反発します。この下の写真のようなデモが起きたことは、実はあまり記憶がない。国民的な運動ではなかったからかもしれません。

 96年に税金投入が決定するのですが、住専での処理の遅れが、97年にやってくる金融の全面的な崩壊を招くことになったのだと、後から批判が出されますが、当時の世論では許しがたい国の行為とみなされました。住専には農協系がかなり出資していたものですから、農協支援だという批判もありました。住専を食い物にしていた連中が、その後、ぞくぞくと金融破たんに追い込まれ、その姿を白日の下に晒していくことになります。
 その代表的な一人が、なにわ金融王と呼ばれた末野興産のビル群と末野兼一。ダンプの運転手から身を起こし、大阪万博や関空景気で躍り出て、大阪ミナミに6棟ものビルを構えるまでに拡大したのです。住専から2300億円、金融機関全体では3700億円を引っ張ったとされています。逮捕時にも隠し預金1200億円といわれていました。今は(2008年)破産者だが、何故か華麗なる日々≠送っている。大阪の北や南で豪遊、暴力団共生者の取り巻きを引き連れて、だそうです。
末野興産のビル群と末野兼一

・東洋信用金庫事件(尾上縫)
 まぁ数ある事件で、これくらいバカバカしいというか、笑いを誘うものはないかもしれません。一介のミナミの料亭「恵川」の主人の縫さんに銀行が群がって、2兆円の金を貸し込むのです。縫さんは拝み屋をやっていて、株の相場占いで銀行や証券マンが群がったのが始まりらしいですが、バブルがはじけて株がパーになって追い込まれた東洋信用金庫が架空の預金証書を作る、その額、4千億円を超える恐るべき金額です。東洋信用金庫は、この事件を切欠に潰れはしませんでしたが吸収され消失。天下の興銀の屋台が揺らぎ、やがて合併し、同じく消えるのです。

                    右は仮釈放された時 資料:フォーカス 96.8.25号
            料亭「恵川」

イトマン事件
・雅叙園観光事件 62年に仕手グループのコスモポリタンによる株買い占めで経営権を握られ、七百億円にのぼる手形を乱発されたうえ、コスモポリタンが破たんした後、イトマン事件に関係した協和綜合開発研究所(伊藤寿永光)が経営に関与するなどした後、97年破綻(最大のスキャンダル参照)

・丸紅架空取引に係る詐欺事件
・木津信用金庫事件   上記、尾上縫に関連。破綻寸前末野興産が385億円を引き出したことでも有名。預金高1兆円を超えるマンモス信組。不動産融資が8割を超え、その無茶な担保設定で背任横領。
木津信金の取り付け騒ぎ 「ザ倒産」宝島
大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件 95年発覚 960億円
阪和銀行副頭取射殺事件

 個々の事件の首謀者達、それを取り巻く暴力団、芸能人、政治家、銀行などの金融屋、実に多彩なる顔ぶれは、影のオールスターともいうべき陣容です。個性たっぷりの、濃いメンバーが揃います。街金の最大手のアイチ、バブル当時は1兆円の貸付資産があったとされ、取立ての厳しさからマムシといわれた森下安道、地産の竹井博友、イトマン事件の主役の一人である伊藤寿永光、コスモ信用組合の泰道三八、マチ金、サラ金の最大スポンサーであった東京相和銀行の長田庄一、住専の大口貸出先で西のビッグ3と言われた末野興産の末野謙一、朝日住建の松本喜蔵、富士住建の安原治。麻布建物の渡辺喜太郎、桃源社の佐々木吉之助、焼き鳥屋のチェーン「五えんや」を率い、2500億円を北海道拓殖銀行から引っ張り、拓銀を潰した男といわれた中岡信栄、浪花の石油王といわれた泉井純一、最上恒産の、地上げの帝王と呼ばれ、120頭もの競走馬のオーナーであった最上興産の早坂太吉、竹下首相の金屏風事件にも顔を出す、最後の政商といわれる福本邦雄、佐川急便事件に関わり、政界の貯金箱と呼ばれた日債銀を破綻に追い込んだ主役の一人福島交通の政商小針暦二、京都の黒幕、山段芳春、食肉の帝王と呼ばれたハンナンの浅田満、武富士の武井保雄、仕手グループの元山口組、コスモポリタン・グループの池田保次、同じ仕手グループの三洋興産、仕手集団誠備グループを率い、1989年、稲川会会長・石井進と組んで、「バブル期最後の戦い」といわれた、本州製紙(現・王子製紙)の仕手戦を仕掛けた加藤ロ、ホテル・ニュージャパンの火事で多数の死傷者を出して糾弾され、既に引退したと思われていた横井英樹、投資ジャーナル事件で消えたと言われた中江滋樹の名前もチラホラ。これに暴力団稲川会二代目石井進、山口組若頭宅見勝が加わります。
  コスモ信組の泰道三八麻布不動産 渡辺喜太郎社長
    
森下安道                安原治                   竹井博友                  泉井純一                 福本邦雄

山段芳春                           浅田満                     横井英樹
           武井保雄

小針歴二                加藤ロ                          佐々木吉之助           中江滋樹
早坂太吉

 これらに庶民は怒り狂ったといっても良いでしょう。バブル期にはインフレにより、収入は増えても、その何層倍で物価が上がり、バブル崩壊後は、不況の到来で大会社でも倒産の不安が増している中でのスキャンダルの連続です。リストラの猛威により、雇用不安が強まっていきます。 スキャンダルの責任を負って首相が次々と変わりますが、不良債権のマグマを抑えることはできません。97年に三洋証券から始まる金融機関の破綻は、北海道拓殖銀行、山一證券へと広がり、国民銀行、東京相和銀行などの地銀の倒産、長銀、日債銀の破綻へと続く。
 売上の何倍にも膨れ上がる借金に苦しむダイエー、そごう等の流通関係、大手建設会社、大手ハウジング会社、大手マンション業者らは、既に何度かの借金の棒引きを受けていたけれど、新たな不安が襲い、株が額面を割り込む事態に至るのです。当時の株式市況の悲惨さは株を持っていない私ですら、青ざめるもので、50円を割り込むどころか、10、20円の株がゾロゾロ並ぶという何だこりゃぁの世界で、額面割れした企業は100社を超えていたのではないかと思います。バブル時代に千円を超えていた企業が目白押しに並び、とてもじゃないけれど買えないという光り輝く世界から、真っ暗闇に暗転したのです。年がら年中、大企業のトップがTVカメラの前で謝罪をする姿ばかりが見せつけられるのです。

 崩壊の中で怪死や失踪事件も、次々と起こります。えせ同和の黒幕とされ、派手な生活から歩く3億円と呼ばれた尾崎清光は84年、東京女子医大の入院中に射殺されます。コスモポリタン・グループの池田保次の失踪事件(88年)、同年には、北浜の風雲児と謳われコスモリサーチを率いた相場師の見学和男はコンクリート詰めされ白骨死体で発見されます。稲川会の石井進会長も逮捕前に稲川会を守るために服毒自殺を遂げたという説があります。まぁ、これは多くの報道が病死と言っていますから多分、病死なのでしょう。
失踪した池田保次 見学和雄 尾崎清光

 バブル崩壊以降は、刃は一般人に及んでいきます。日本土地の木本一馬夫婦の拳銃自殺(91年)、阪和銀行副頭取の射殺事件(93年)、イトマンの絵画取引の中心人物であった加藤義邦常務の怪死、日債銀社長本間忠世の殺人を疑わせる自殺(2000年)、住友銀行名古屋支店長射殺(94年)などがあります。
 バブル崩壊の後始末に元特捜検事の田中森一山口組などの暴力団幹部や仕手筋、総会屋など、いわゆる裏社会の人間の顧問弁護士を多く務めたほか、許永中や中岡信栄などの裏社会の人物との親交も深く、「闇社会の守護神」、「闇社会の代理人」などと呼ばれていた)が表に出てくるあたりで、終焉に向けての舞台が整ったというべきでしょう。


 そしてあの運命の97年には、第一勧業銀行と4大証券を巻き込む総会屋事件まで起きるのです。戦後、最大の総会屋といわれる木島力也の後を継ぎ、第一勧業銀行麹町支店の不正融資事件で揺れる第一勧業銀行の株主総会で暗躍する等、最後の総会屋ともいわれた小池隆一は、損失補填事件で失脚した田淵節也元会長、田淵義久元社長を取締役に復帰させようとした動きに乗じ、当時の社長らの解任要求、証券不祥事を追求する攻撃によって莫大なる利益供与を受けるのです。小池の逮捕と同時に4大証券の役員が次々と逮捕される異様な事態になります。
小池隆一