暴力団の抗争、山口組、宅見勝、石井進、外国人マフィア、蛇頭

 巨大な金が渦を巻き、利権を巡って非合法な手段が動員され、暴力的な力によって相手を押し倒そうとする時、暴力組織は水を得た魚となって堅気の世界に乗り出し、潮を泳ぎ、あるいは自ら渦を巻き起こしていきます。バブル時代に突入する前後から、経済ヤクザが台頭してきます。暴力団であることを隠したフロント企業が最前線に立ち、それまでのシノギの桁を2つも3つも上げていく時代がやってきます。
バブル時代の最大の山場は、日本最大の暴力団である山口組の跡目争いですが、その胎動ともいえる動きが、山口組の東京侵攻です。90年、八王子抗争で蓋を開け、雪崩のごとく東京に進出、3年後にはフロント企業数百社、連絡事務所が区内60箇所、組員2千人に膨れ上がるのです。

山口組の東京進出

 暴力団内部では、「カネがないのは首がないのと同じ」と資金力が組織の力を測る手段にもなってくると、旧来のヤクザ武闘派と、経済ヤクザとの諍いは激しさを増していきます。この対立の構造が、バブルの前後で山口組の跡目争いによる抗争の遠因をなしていたのでしょう。銃撃戦が起きます。

 81年、神戸の弱小組織を日本一の広域暴力団山口組を育てた田岡(三代目)が死んだ後に、四代目を継ぐとみられた山健が服役中に早逝し、跡目争いは混沌としていく中、84年竹中組長が襲名するのに不満な山広が一和会を結成。激しい抗争がスタートします。85年に追い詰められた一和会がヒットマンを使って竹中組長を射殺する。これに激怒した山口組は一和会に対して報復攻撃を始め、317件の抗争を起こし25人が死亡(山口組8人、一和会17人)、70人が負傷する。集団指導体制の下で山健組を継いでいた渡辺芳則(五代目)が組長に襲名するのは89年、バブルの絶頂期です。
田岡一雄とその葬儀 資料写真は山口組血風録

山口組の歴史

後に抗争を繰り広げる竹中若頭と山本広組長代行               第5代山口組を継承する渡辺芳則組長
 
 バブルの以前から政財界に色濃く暴力団の影が落ちていました。 山口組と手を結んだ住友銀行、稲川会との関係が囁かれる野村證券。 東京佐川急便事件でも右翼、暴力団に乱発された資金1千億円が渡ったとされ、竹下登首相の誉め殺しが、ここに係っている。山口組と京都の名門組織会津小鉄会と地上げをめぐる京都戦争があり、イトマン事件の一端であるKBS京都事件でも名が出るなど、暴力団の影がバブル期に色濃い。

会津小鉄会4代目高山登久太郎   山口組への襲撃に備えた警戒態勢

 バブル崩壊は別名、Yakuza Recessionとも云われるまでに、政・財・官・暴のトライアングルが圧し掛かってきます。バブル崩壊後には金を巡るトラブル、不良不動産物件に居座りなど、頻発するスキャンダルの中で怪死事件や行方不明事件が連続して起きます。雅叙園観光事件で名前が挙がった池田保次(88年行方不明)、北浜の風雲児と言われた見学次男(88年コンクリート詰め死)、日本土地の木本一馬(91年夫婦拳銃自殺)があります。あの運命の97年には、渡辺組長誕生に大いに力あったとされる山口組の若頭、宅見勝が神戸のホテルで射殺される。実行の中心になった中野会は警察によって守られますが、一歩も外に出られずに数年も自宅に篭らざるえなくなります。山口組との和解がなるのは、実に2005年。実行犯が死体で見つかるのは射殺から9年後、和解の翌年の2006年なのです。
  宅見勝若頭    石井進(隆匡)会長
 抗争の激化の中で大量の銃の密輸が行われます。銃のほとんどはロシア製のトカレフでしたが、同じトカレフでも中国製の粗製中が多かったとも言われます。
91年1月
 企業舎弟を多く抱え込んだ宅見は現代ヤクザの典型であり、株、建設、土木、流通、金融などの裏、闇の部分に関わり、イトマン事件でも、闇に消えた3000億円とも言われる金も、多くは山口組に吸い込まれたのではないかともいいます。 稲川会二代目会長石井進、山口組若頭宅見勝の東西2人の経済ヤクザの出現によって、ヤクザ組織は、圧倒的な経済力を身につけていくのです。バブル崩壊以降、企業舎弟、経済舎弟、という影の組員と、それが経営するフロント企業の話題が飛び交います。 警視庁から大手企業の総務宛にフロント企業の一覧表が密かに配られ、警戒するよう指示が出されるのです。 ヤクザ組織は、ノンバンクを使って荒稼ぎしたバブル時代から、ITベンチャーを使って金を稼ぐ時代へと変貌していくのです。
参考:「山口組若頭とは」

宅見若頭の姿があります
山口組と大阪府警
 バブルが崩壊した後だったと思いますが、ヤクザ・マンションと呼ばれた場所が、ある種の恐れをまじえて語られることがありました。暴対法の関係で市中に事務所を構えることが困難になった暴力団が、新宿のマンションに大量の事務所を構えており、そこには抗争中の連中までいたというものです。今、現在はどうなっているかは知りませんが、そのマンションを正確にコピーしているというのが、この漫画「殺し屋イチ」です。

山本英夫「殺し屋イチ」

外国人マフィアの侵入と支配

 バブルに浮かれている頃、盛り場に漂着した不良外国人は小さな亀裂に潜り込み、根を張り、勢力を拡大していきます。台湾、中国、韓国、イランなどから来た連中が、最初は暴力団の配下として、やがて組織を作り、マフィアとしてネオン街の利権を手中に納め、暴力団が手を出さない窃盗や強盗をもシノギに加え、ためらうことなく殺人を断行する力によって新宿歌舞伎町の王者にのし上がっていくのです。
 そのきっかけは、90年の入管法の改正とバブル崩壊で、仕事を失くした中国人達が伝手を求めて、新宿には上海人、池袋には福建人が多く集まりようになっていきます。ピンサロやファッションクラブのチラシ配り、風俗店の看板持ちから始まり、やがて小金をためた連中が中国クラブを開店、93年には300軒を超えるほど拡大します。中国クラブを足がかりに、賭博、各種の偽造、泥棒市が開かれ、地元の暴力団との摩擦が激化していきます。歌舞伎町は次第に治安が悪化、無法の町と化していきます。中国人マフィアは、やがて蛇頭と呼ばれ、密航、密輸、売春、麻薬売買、地下銀行を手がけ、中国と日本を自由に行き来して犯罪摘発を逃れ、勢力を拡大していきます。租界が都市のど真ん中に形成されたのです。

密航船 別冊宝島「日本黒社会」
不夜城 新宿歌舞伎町
権徹「歌舞伎町のこころちゃん」