連続殺人鬼

 連続殺人ではありませんが、88年11月に綾瀬の女子高生のコンクリート詰殺人事件が起きます。3人組の男子高生による1人の女子高生への暴行、凄惨なリンチ、その残酷性は凄まじいものがあり、少年達の暴力の形が変わったと言われ、人間とは思えない所業の数々に、世間を震撼させます。その後の変態的猟奇的な犯罪の嚆矢となるものです。



 また、2000年1月に発覚した新潟少女監禁事件もまた、このバブル時代の出来事なのです。犯人の佐藤宣行は、小学校4年生だった女の子を1990年11月13日、新潟県三条市で下校途中に誘拐し、実に9年2ヶ月にのぼる年月、監禁したのです。その間の脅迫、不安と檻に監禁するなどの行為は大きな打撃を被害者に与えたのです。
    佐藤宣行

 そして連続殺人です。89年に起きる宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件です。幼い女の子4人が殺されます。詳しくはリンク先で。2008年死刑が執行されます。
   
オタクの象徴とされたビデオの詰まった宮崎の部屋
週刊新潮2010.12.30号

 バブル崩壊の最終局面に、酒鬼薔薇聖斗による神戸の殺人事件が起きてきます。神戸連続児童殺傷事件といわれる1997年9月に発生、2名死亡、3人が重軽傷を負う事件です。被害者の頭部が「声明文」とともに中学校の正門前に置かれ、地元新聞社に「挑戦状」が郵送され、強い暴力性が伴なう特異な事件であると共に、犯人が14歳の、いわゆる「普通の中学生」であった点が強い衝撃をもたらします。
 警察への挑発的な文書の投稿は、アメリカの未解決の連続殺人、ゾディアックを模倣したものと言われています。


 当時、現代美術の一部の世界は、死と解剖生理学によって強い猟奇性を帯び、グロテスクなものへの関心が高まっていましたが、この事件を契機に、一気に熱が冷め、これらを扱っていた書店は販売を自主的に中止することになります。

 酒鬼薔薇聖斗による殺人は、同じ世代に強烈な衝撃を与え、以降、年を経ながら、同じ世代で殺人事件が次々と起こっていく、殺人の連鎖が始まります。酒鬼薔薇の発したメッセージとは宮台真司氏によれば「透明な存在である義務教育に対する復讐を忘れない」というものであり、強い共感があったようです。社会の中で生きるのが辛いのなら、社会の向こう側に突き抜けてしまえば、楽になるというものであった(現実は少しも楽にはならず重い枷を嵌められる何十倍もの苦しみしかない未来しかなかったのですが・・・)のかもしれません。殺人を駆り立てるものの一つであったかもしれませんが、彼らの精神の幼さから思うに、それも大人の思い込みなのでしょう。ロートレアモンのマルドロールの歌を解釈とするものもありますが、これも思い込みの一つでしょう。様々な解釈が行われ、この謎に満ちた事件に解答を見出そうとしました。

 酒鬼薔薇に刺激を受けた事件が2000年に連続して発生し、犯行の動機が「人を殺してみたかった」という無目的なものであったことや、「キレル17歳」が大きな話題になります。以下はその事件です。

  ・黒磯教師刺殺事件 1998年1月 1人死亡 犯人が使用したバタフライナイフが話題になり、販売禁止措置がとられるようになります。
  ・西鉄バスジャック事件 2000年5月 1人死亡、2人重症
  ・豊川市主婦殺人事件 2000年5月 1人死亡、1人重症
  ・岡山金属バット母親殺害事件 2000年6月 1人死亡
  ・山口母親殺害事件 2000年7月/大阪姉妹殺害事件 2005年11月(同一犯) 3人死亡
  ・大分一家6人殺傷事件 2000年8月 3人死亡、2人重症
  ・京都、神奈川親族連続殺人事件 2007年1月 2人死亡
  ・秋葉原通り魔事件 2008年6月 7人死亡12人負傷

 少し年齢にズレがありますが、
  ・光市母子殺害事件 1999年4月 2人死亡 の犯人も18歳でした。

 封印された暴力への夢想があったのかもしれません。福山庸治氏の強度な幻影と暴力に彩られた作品が彼らの心情の一部を示しているのかもしれません。
     


 これらの事件を契機として2001年少年法の改正が行われ、被害者の救済と罰則強化が行われます。秋葉原事件の2008年前後を除くと、少年による犯罪は急速に消失します。煽情的なマスコミの報道を刺激とした自己実現的な犯罪は終息したのです。いったいこの、一面では残虐極まりない、また、その一面ではひどく幼い犯罪とは何であったのか。論議は様々でしょうが、土井隆義「非行少年の消滅」が一つの解答を与えてくれています。