バブル潰し

 地上げに代表される強引な不動産取引、相続税に苦しむ庶民、贅沢品が湯水のように消費され、浮かれ立つ世の中に、多くの庶民は苦々しい気分で見ていました。このままでは、日本がおかしくなってしまう、その気分が濃厚に漂う中で登場したのが、平成の鬼平こと三重野日銀総裁でした。89年12月に就任します。

三重野日銀総裁


 三重野総裁はバブル潰しに執念を燃やします。地価の高騰に歯止めをかける地価抑制策は、直接的な土地取引の規制、土地関連税制の強化、そして金融政策と3つの手段が動員されます。最も利いたのは金融政策、金利の引上げでした。89年に3回、90年に2回の金利引上げによって、バブルは急速な勢いで縮んでいきます。

 1990年4月に「総量規制」は地価高騰を抑止することを狙いとして導入されます。総量規制とは、金融機関に不動産業界向けの融資を、貸出残高全体の伸び率以下にすることを義務づけるものでした。無制限の土地担保融資を直接抑え込む方法でしたが、抜け穴があり金融機関は住専を通じて融資を続けます。このため地価はいきなりは下がりません。バブルの熱気はまだ、濃く残ります。
 遅れてきたノンバンクと呼ばれた住専は、東京の地価高騰には乗り遅れたことから、主に関西を主戦場にしたことから、破綻はすぐにやってきました。これがやがて大問題に発展していくのです。金融当局が関西系の銀行を次々と破綻させていくのも、これらの事情によるものとされています。

 マスコミも、世間も、これらの政策に歓呼の声を上げました。それが失われた10年という長い深刻な不況の門口にあったことなど、誰も分からない、むしろこの馬鹿げた熱狂が収まることに大いに期待したのです。

この間の金利政策は、詳しくはこちらに
バブル原因再考」(保存
バブルの崩壊 土地担保融資の規制、株価暴落、不良債権問題」もあります。

 長引く不況は、やがて日本経済を破壊した男として三重野総裁の名前が浮上してきます。まったくマスコミなんてのはどうしようもありません。

円高
 バブル潰しというよりも、増長する日本を叩き潰そうという、もう一方の立役者はアメリカであり、父ブッシュ政権(88〜92年)からクリントン政権(93年〜2001年)へと変わっていく中で、ドル円、通貨戦争を仕掛けます。この背景には誰も指摘しておりませんが1992年欧州通貨危機というのが起きており、その代表的なものがジョージ・ソロスの率いるヘッジファンドによるイギリス・ポンドへの攻撃と、その結果として変動相場制への移行がありました。ソロスとヘッジファンドは強烈な印象を植え付け、脅威論が長く金融界を支配することになりました。
 日米関係もまた、昭和40年代から続く貿易戦争、変動相場制に移行しても止まらぬ日本の輸出に、日米は通貨を巡って厳しい闘いをしてきており、ある時には協調し、ある時には敵対するなど渡り合ってきました。アメリカは、90年代に入ると強烈な円高を演出し、95年には1ドル78円までの凄まじい円高は激しく日本経済を揺さぶり、マネー敗戦に導く主因となりました。