バブルの上昇と崩壊という社会経済の大きな変動は、心の病を引き起こし、薬物による精神の開放、安定を求めるニーズが強まり、中でも欝への落込みを何とかしようと、薬剤への関心が強まっていきました。
それはより強力な効き目のあるドラッグへの依存への第一歩となることも少なくありませんでした。


ヤ ク 中 :クスリ Drug

 少し見難いですが下のグラフから。バブル崩壊の中で、覚醒剤の第三次乱用期が始まります。 話はその少し前から始まります。北朝鮮は外貨獲得のため、1990年代から「国家ぐるみ」(米国務省)で覚醒剤の生産・密輸を進め、最大市場である日本には、年間10万〜20万トンが流入していると推定され、 北朝鮮製の非常に純度の高いものが、暴力団を介在させたイラン人など不法外国人によってばら撒かれます。 「北朝鮮がつくり ヤクザが売る覚醒剤」とされ、暴力団は住吉会が核になり、関東の暴力団が全国にばら撒いたとされています。 覚醒剤と共に銃器も持ち込まれます。

 1992、3年ころから、イラン人など外国人密売人が、北朝鮮製の覚せい剤とともに大麻樹脂を売り込むようになり、「チョコ」という言葉とともに若者に広まり始めます。 当時、アメリカではコーク(コカイン)の大ブームが起きていて、その影響というか、興味というか、ミュージシャンが手を出したことも、若者の好奇心を煽る形となり、若者がファッション感覚で吸引するようになったことです。 当時、渋谷のセンター街近隣で、クスリの売買が行われ、売人がそこらをウロウロする状況がTVなどでも報道されるようになります。
 このような若者を中心とした覚醒剤の吸引は、同時にこの頃、膨大な債務に東奔西走している人達や、極端に人員を減らされて仕事に追い駆けられている中高年層など、押しかかるストレスから逃れようと、思わずクスリに手を出すという形で蔓延していきます。 背景にはバブル崩壊の中で家族関係も崩壊している人々が多くいたことです。その破局は財産ばかりでなく、精神、肉体など、すべてを失うものとなります。


93年
 
軍鶏 たなか亜希夫                        東鍋昌平「闇金ウシジマクン」

 覚醒剤に関わるところではゴンゾー=「ならず者」「常軌を逸した」ライターと自称する石丸元章氏の卓越した文章が私の大のお気に入りです。 北朝鮮ものでは、その視点から言っても最高に近いドキュメンタリーであるでしょう。 覚醒剤にトチ狂って行くところは、この手の麻薬文学の中でも突出したものです。まぁ、好き好きがありますから、べた誉めはこの辺で。

 「シャブ」、「スピード」、スピードの頭文字である「S」(エス)、「アイス」などと称せられた覚醒剤は、痩せられる、気持ちが高揚するなどの理由から、若い世代に蔓延していきます。 渋谷のセンター街などでチーマーと呼ばれた不良少年達によって売られ、比較的簡単に手に入れることができたことが大きなポイントです。

埼玉新聞編集局「危うい少女たち」

軍鶏 たなか亜希夫
 北朝鮮からの密輸、あるいは中国人マフィアを通じて銃が流入しています。最も有名なったのはトカレフTT33と呼ばれるロシアの銃の名機ですが、ロシア製ではなく中国製が多く出回ります。しばしばトラブルを起したとも言われますが、バブル時代はそこらのチンピラも持っていたといわれるほど全国的に出回り、暴力団の抗争にも、バブル紳士の殺害にも多く使用されたといわれます。
トカレフ33バタフライナイフ


押収された覚醒剤              薬物依存による顔の変形

シャブ中スライドコレクション
MDMA
外国人密売人が販売していた薬物は、
  @アイス(覚せい剤)、
  Aエクスタシー(MDMA)、
  Bコーク(コカイン)、
  Cケタミン
などと広がってきています。 警察との激しい攻防戦が繰り広げられ、北朝鮮の薬物供給を根絶やしする作戦で、相当量、減ってきています。 その内容は「始末」を参考にしてください。


薬物依存専門病院

心も体もボロボロに薬物依存の若者たち更生施設は今


 この惨状に一人の教師が立ち向かいます。「夜回り先生」こと水谷修氏です。夜、学校を終えた後、12年間に渡り、繁華街を見回り、薬物中毒に陥った若者5000人に声をかけたと言われています。彼が書いた書物からTVドラマ化もされました。土田世紀さんが漫画にも仕立てています。なかなかできることではありませんから、強い感動を呼びました。
水谷修氏 土田世紀

チーマー〜反発/反撃
 渋谷のセンター街を中心にストリート・ギャングを模した不良少年たちチーマーができ、それに対抗して取締りをする連中も出てきます。89年から90年にかけて最も不穏な時期であったとスタジオ・ボイスの90年代カルチャーの中で三田格が話をしています。「終電が終わった瞬間、まったく人通りが絶えるんだよ。一般人は皆、帰ってしまって、ガランとしたセンター街の角ごとにチーマーがたむろして、あのみぞおちにくる感じは今でも憶えているよ。センター街にドラッグがバラまかれて、あこがれのカーナビー・ストリートになった(笑」この時代の出口無しの感覚に溢れていたのでしょう。
 下の写真は、渋谷でチームを組むメンバー。 写っている彼らはクスリの売買のメンバーとは違いますが、かなりの大人数であること、80年代の暴走族や竹の子族やローラー族とは、かなり雰囲気が違っている。 ナイフなどの武器を持っているのも特徴的です。中でもバタフライナイフが「派手さ」「カッコ良さ」から、テレビドラマの『ギフト』(1997年)作中で主人公が器用に操ったことから流行します。ここらはアメリカ発祥のStreet文化と重なり合っており、その暴力的な雰囲気はStreetとしてまとめてある項よりも、アメリカの実態に近い。
バタフライナイフ・アクション
 こういうことは私を含めて大人たちは無関心でしたが、90年代も終わる頃に少年(ともに中学生)がナイフでバスジャック事件などの事件が立て続けに起こし、新聞やテレビで大報道され、ナイフが引き起こしたという形で強い取締りが行われ、携帯しているだけで非合法、処罰されるようになりました。統制は昔の方が強い感じがしますが、より悪の色が濃くなっています。 暴力団の影もチラホラしています。警察の大規模な介入によってチーマーは壊滅します。

GORO 1989.9.12号
 チーマーに対抗したグループ。
宇田川警備隊
 渋谷のチーマーを追われた連中や関東近県出身者は、新宿に集まり、規模は小さかったようですが、キラーGなどの少年ギャングが現れたようです。 「少年はなぜ人を殺せたか」宝島より。

 もはや私も若くないので、ここらの事情はよく分からないのですが、80年代の暴走族が、この時代に変容していく感じです。 下の金崎さん写真は現在(2000年代)の暴走族のもので、雑誌からスキャンしたので大幅にトリミングしてあります。

写真:金崎将敬
写真:金崎将敬
特攻服が登場するのは、Wikiでは90年代のようです。ここらの写真がBURST、TATOOといった刺青雑誌に掲載され、アンダーな世界の一つの象徴となって行きました。