ストリート:スニーカー/Gショック/ヒップホップ/ラップ/ブレイクダンス/グラフィティ/

 80年代にアメリカの黒人社会から出発するストリート文化があり、世界的に大流行していきます。日本には90年代から若者を中心に流行が始まります。ストリートという特性が、80年代の不良文化が、日本のバブル隆盛期を跨いで、再び上昇してきた感じがします。ディスコブームの終焉も大いに関係があったのでしょう。私のような年齢の人間が気づくには、随分、時間が空いているのでしょう。
 最初の盛り上がりは、スニーカー、NIKEの異常なブームでした。その前後に起きるGショックというデジタル時計ブームです。これらはバブルの余韻が残る時代のもので、ここりもあぶく銭の膨張にいれたいくらいのものです。
 不況の深まりの中で、流行して行くものは、我が国では世代を超えて流行したり、知るということがなかった。何となく目に付いたくらいのものでありましたから、その進行状況や盛り上がりのレベルを知りません。ここで採り上げるのも、バブル崩壊以降の、ある種の雰囲気というものの一つです。喪われた二十年と呼ばれる、停滞の中の流行の一つの形です。

スニーカー NIKEブーム
 Wikiから『1980年代、NBAの一大スターマイケル・ジョーダン (Michael Jordan) のスポンサーであったナイキが、彼をスポークスマンとしてバスケットシューズの新ラインを発表・販売。当時のエア・ジョーダン (Air Jordan) は、100ドルという当時では高価であったにも拘らず、アメリカの販売店では長蛇の列ができ飛ぶ様に売れた。そのコレクション性から、後に日本ではコレクターの間で何万、何十万という値段が付いた。その高額さゆえに、アメリカの低所得地域などではエア・ジョーダンを奪うために傷害や殺人事件が起きている。1990年代、ナイキやリーボックを筆頭にハイテクスニーカーブームが到来。スニーカー専門のファッション雑誌も登場し、流行のスニーカーは盗難が続出、社会現象ともなった。その中でもナイキ・エアマックス95 (AIR MAX 95)やリーボック・インスタ・ポンプ・フューリー は90年代のハイテクスニーカーブームを象徴する存在と言える。』
 この騒ぎは日本に、そのままに近い形で入ってきて東南や偽物が大量に出回ることになりました。下の本物と偽物の差なんて私のようなオッサンに分かる訳もなく、何じゃこりゃあの世界で、先のエア・ジョーダンには30万円の値段が出たともいわれています。正規品は10万円くらいが平気で付けられる恐ろしいほどのものでした。スニーカーに、たかが運動靴にどうして??が正直なところでした。96年が最大のピークでNIKEシューズの盗難事件が頻発し、履いている靴を狙っての襲撃事件、偽物の騒ぎが激しかった。


別冊宝島300 コレクターの世界から
スニーカー完全読本
 スニーカーは単に靴だけではありませんで、全体のファッション、ストリート性が重視されていました。何がストリート性かと言えば、黒人の格好のコピーなんですが・・・。クラブDJやキムタクの影響も強くあるようです。まぁ、時代ですねぇ・・・。



Gショック/データバンク
 このデジタル時計を巡る騒ぎも理解を超えるものがありました。話によれば、「スピード」という1994年公開の映画で主演のキアヌリーブスが付けていたのが流行の切欠とか。ここらは実にバブルぽい話題です。カシオ製の、どうということもないデジタル時計にプレミアムが付くという騒ぎになります。キアヌリーブスが付けていた時計(私物とか)は87年製のものでしたか、確かに市場には出回ってはいなかったでしょうから、レア物であることは確かでしょう。同じカシオのデータバンクも人気があったようですが、こちらは情報が足りません。


Gショック                                                  データバンク
 この時計ブームは87年に登場し、92年にピークに達したといわれるスウォッチ・ブームを思い出すのですが、流行というのは、本当にワケワカメです。
スウォッチ

 これからは不況の影が濃い時代のものです。
ヤンキー(うんこ)座り
 コンビニの前辺りの夜中に何人か集まっては、こんな座り方をして、若者たちがたむろしている姿が目に付きました。何を話していたのか、何故、集まっていたのか。

路上などに座り込む

 下の写真のように路上にべったりと座り込んでいる姿もありました。路面が汚れていないというか、ズボンが汚れないということも大きかったのでしょう。泥が都会からなくなっていたこともあったのでしょうが、そんなことよりも、こういう座り方も大人だか社会だかへの反発なのかもしれませんし、自分らの世界作りだったのかもしれません。さすがに大人は彼らの中に入り込めません。
土井隆義「非行少年の消滅」から
 こういうのをやがてジベタリアンと言われるようになりました。現代俗語辞典によれば、『ジベタリアンとはコンビニの駐車場や繁華街、ところ構わず腰をついて座り込む若者のこと』。だそうです。

路上雑誌売り・・ホームレス
 ストリートはホームレスの世界です。彼らが路上で雑誌を売り始めたのは何時だったのか分かりませんが、大きな駅の駅前近くに台を置いて販売するようになります。警察は時々、取締りを行いましたが、完全に消えることは少なかった。
井上三太「TOKYO TRIBE2」

Street Fashion(ストリート・ファッション)
 80年代から渋カジなど普通の子達のファッションに関心が集まって行きます。ファッション・デザインの世界的な行き詰まりがあったのかもしれません。ストリート・ファッションを特集する女性誌も多くなりました。下は世界のストリート・ファッションを紹介する雑誌で原宿特集です。1997年3月号です。一番下の右側のように古着も販売していました。




 さてここまでは、日本のストリートの状況でしたが、これ以降はアメリカから入ってきたものです。

Skateboard(スケートボード)
 スケートボードで遊ぶ若者たちが目に付くようになるのは、バブル崩壊以降であったと思います。Wikiあたりでは、相当に古いように書いてありますが、多分、それは80年代にサーフィンの練習用からスタートしたからでしょう。「幻の黄金時代/サーフィン」でも取り上げています。この時代はアメリカの流行、ストリート文化からの影響が濃くあり、バブルの頃にストリートで遊ぶ子はいませんでしたから、本格化するのもこのくらいかと思います。地下道とか、歩行者天国あたりで多く見かけました。ただ流行は意外に短いのは、規制が強まったためかもしれません。あまり目に付かなくなりました。

BMWスケートボード
カステラより
 外で見たこともありませんが、何か凄いなと思っての参考に。スケートボードとバイクのハイブリッド・モデル。
Wheelman
 丁度、同じ頃にローラースケートも見かけることが多くなりました。こちらは子供たちが大部分で、随分、しゃれたローラースケートだなぁと思った記憶があります。ローラーブレードほどではなかったですけれど、プロテクターを着けて滑走する姿を覚えています。子供の頃は憧れたけれど、お金もなかったし、運動音痴だったもので・・・・。多分、若者たちが先行し、結婚したカップルの子供たちに伝わったのでしょう。まぁ、それほど大流行したという感覚はありません。


                 ローラー、ライフスタイルより

ローラー・パーティだそうです。ここらは時代的にはバブル真っ盛りの感覚ですが・・・・
ポパイ79.9.10

 この手の流行にキックスクーターというのもありました。そこらじゅうに見かけたこともありましたが、今でも時折、見かけます。Wikiによれば90年代後半に流行ったようです。折り畳めることが大きかったようです。JDRazorから

セグウエイ
 何か前評判だけが凄まじくて、何だぁ、というのがセグウエイという自動二輪車でした。前評判は世紀の大発明とか、世界を変えるとか、まぁ、そんなものです。下の写真は中部国際空港で使用され、乗っているのはインストラクターの方です。


hip-hop(ヒップホップ)
 DJブームは80年代から始まっていますが、この90年代はアメリカでも黄金期と言われていますし、やはり一般的になるのは、この時代であったように思います。井上三太の描くアメリカ的なクラブが日本にもあったのか、よく分かりませんが・・・。
東鍋昌平「闇金ウシジマくん」

井上三太「TOKYO TRIBE3」
Kool Herc


 ヒップホップにおいて、ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティは四大要素と呼ばれているようですから、その順番で。

ラップ(rap)
Sugarhill Gang - Rapper's Delight


ブレイクダンス(break dance)
 バブル最盛期におけるダンスの流行でブレイクダンスを採り上げましたが、時代が進みバブルが崩壊し、エアロビも閉鎖が続き、ダンス教師に給与が支払えなくなり、非常に多くが撤退、わずかに生き残る形になりました。その中でブレイクダンスは、本来のストリート文化に戻るというか、近づいていく形に我が国ではなったように思います。間違っているのかもしれませんが、業界の事情に詳しくないので申し訳ありません。
Photo Japon1984.6

ダンスバトル


日本のラップの代表作のようですが、DA.YO.NE。あまりにも社会性がなく、訴えてくるものが・・・、音楽こそラップ的ではあっても、どうなんですかねぇ。


グラフィティ(graffiti)
 ストリート・アートで最も有名なのは、キース・ヘリングでしょう。彼は地下鉄を主な舞台としていて、サブウエイ・ドローイングと呼ばれましたが、路上で繰り広げられるグラフィティに大きな影響というか刺激を互いに高めたことは確かでしょう。落書きが芸術に昇華するというのは、現代美術のありようも大きく変化する何かなのでしょう。
キース・ヘリング
 グラフィティを実際に行っているシーンにお目にかかったことはありません。はじめて見た頃は落書きだと思っていましたから、日本では何時からなのか微妙です。やはりバブル崩壊以降だと思います。
LAにて
グラフィティ(水戸)
 上のような細かく書き込んだものは見当たりませんで、だいたいが簡単な文字ばかりです。
井上三太『TOKYO GRAFFITI