ネット企業の主役たち
伊藤穣一(インターネット事業コンサルタント)33歳
三木谷浩史(楽天市場経営)34歳
藤田晋(インターネット広告)26歳
生田昌弘(ホームページ制作)40歳
伊藤淳子(女性向けホームページ、編集者)43歳
舩川治郎(ネット関連ソフト開発)32歳
小椋一宏(リナックス・ソフト開発)24歳
堀江貴文(ホームページ制作)26歳
孫泰蔵(ネットソフト開発)27歳
本間毅(ソフト開発)24歳
インターネット(IT)バブル

 日本はバブル崩壊と円高攻撃にヘトヘトの中にあって、アメリカは対照的にITを中心とした大変な好況、ニュー・エコノミーと呼ばれる現象が起きています。アメリカFRB議長グリーンスパン氏はマエストロと呼ばれ、巧みな市場管理の下に、繁栄を謳歌します。グリーンスパン議長は日本のバブル崩壊をとことん研究したといわれています。
 Wikiから『1990年代末期に、アメリカ合衆国の市場を中心に起った、インターネット関連企業の実需投資や株式投資の異常な高潮である。「ドットコム会社」と呼ばれる多くのIT関連ベンチャーが設立され、1999年から2000年にかけて株価が異常に上昇し、2001年にかけてバブルははじけた。通常、英語では「.com bubble(ドットコムバブル)」と言う』。NASDAQのナスダック総合指数は1996年には1000前後で推移していたが、1999年には2000を突破し、2000年3月10日には絶頂の5048に。FRBの利上げを契機に株価は急速に崩壊し、アメリカ同時多発テロ事件もあって、2002年には1000台まで下落し、その後、容易には回復しませんでした。

FRBグリーンスパン議長 NASDAQ

 このアメリカの好況は、日本の政治状況に大きなインパクトを与えます。 羨望の中、何とか自分達も好況を取り戻したいという気分が蔓延し、それに似たような動きを必死にマスコミは探し、大きな騒ぎに盛り上げようと意図していました。 この気分の中で99年の6月に孫正義によってナスダック・ジャパン構想が打ち出されます。 アメリカに見習ってベンチャー企業を育成するために、創業から数年でも、赤字でも、上場できる株式市場を造成するというものです。
 孫正義による同月の上場予備軍の説明会には1400人のベンチャー経営者が集まり、短期間で株式公開の夢を求め、熱気に包まれます(有森隆「ネットバブル」から、文章は変えてあります)。 翌月には第1号としてグッドウイルが店頭上場し、初値は公募価格の3.3倍、2300万円(額面5万円)という高値をつけ、株式上場バブルが始まります。
 このバブルは全社会を巻き込んだ90年前後のバブルに比べて、株式市場という鉄火場の中でのみ成立したバブルであった特徴がありますが、マスコミが浮かれ騒いだことで若い世代には大きな影響を与えることになりました。この朝日新聞の掲載が典型的なものであったでしょう。現在はそれぞれの活動しているようですが、当時の持ち上げ方、第二の本田宗一郎とか、井深大とか、そんな勢いからすると、この結果はどうなのでしょうか。
朝日新聞1999.10.9

 ナスダック・ジャパン構想の刺激を受けて東京証券取引所はマザーズを開設、ベンチャー企業の株式を手がけるなど、新興市場がいくつか形成されていき、ただ名前だけがそれらしいような企業が上場により、巨額な資金を手に入れるようになります。
松本弘樹「金融不況のからくり」
 次の成長分野は、ITだと。 何も考えずに浮かれ立つところの多い株式市場では、ITでもなんでもない携帯電話の販売会社の光通信が異常な株価で取引される。 いわゆるITバブルが起きます。社長の重田康光は、1999年、34歳で東証一部上場という当時としては史上最年少記録を成し遂げ、ITバブルを牽引。高騰する株価により、一時は世界第5位の大富豪にのし上がります。 2000年2月には株価は24万円を超えますが、架空契約に端を発した業績不振、勧誘の強引さなど営業方法への批判を浴び、倒産は免れるが、まっ逆さまに墜落し、7月には3600円へと、ガラと呼ばれるにふさわしい凋落となります。
重田康光社長
 光通信の凋落の甚だしさは、ITバブルの底の浅さを象徴し、携帯電話やネットに関わっていればITだという我が国の底の浅さをも露呈するものでした。
 この株式上場と荒っぽい相場を主導したのが、これも規制緩和で誕生したネット証券です。先頭を切った松井証券が最も注目される存在になります。そして、パソコンで株式相場を睨んで瞬時に取引を繰り返すデイ・トレーダーが脚光を浴びます。家に何台ものパソコンを並べて、一日中、モニターに向かい合い、数億、数十億円を稼ぎ出す若者がTV で紹介されました。
松井証券 松井社長   デイトレード

 ナスダック・ジャパンの形成により、大きなスプリング・ボードを得たソフトバンクは、自身に関連する企業を次々と上場し、巨大な資金により、新たな事業分野を切り開いていくことになりました。ソフトバンク発展の大きな力となったのは元野村證券の北尾の腕力であったといいます。Yahoo! JAPANや楽天やサイバーエージェント、ライブドア(オン・ザ・エッヂ)などがインターネット企業として興隆.してきます。

孫正義

(勝ち組の暗い影)
 ITバブルの熱気の中で、目敏い若者たちの会社が次々と設立し、上場によって、株券という紙切れが、膨大な金に摩り替わります。その代表が楽天であり、ライブドアでした。 何十億、何百億円という金が、創業社長に転がり込んでくる。その金を使って、プロ野球球団や放送局など、規制に安住した企業に、M&Aを仕掛け、傘下に置き、不動産転がしならぬ、会社ころがしによって、既存の企業群を呑み込んでいく。
 しかし元から経営能力は無いですから、仲間内での株価操作によって株高を演出し、その信用で、再度、増資、会社分割を図って、巨大化を図りました。 企業に、ノウハウも、画期的なアイディアもない。単なる要領の良さだけしかない。組織が膨れ上がっていく中でも、ノウハウの蓄積を図ろうという気もない。これでは早晩、たどり着ける場所は塀の中なのは当然であったでしょう。

 彼らの多くが六本木ヒルズに居住したことから、ヒルズ族と呼ばれるようになります。金の集まるところには、様々な有象無象が凝集していきます。芸能人やら、TVの美人アナとの交際や結婚が話題を集めると同時に、ヒルズ族に在日の若者が多かったとも言われ、多くが億ションに住まい、六本木のクラブで夜な夜な騒ぎ、「お持ち帰り」できる女の求める姿も目撃されています。彼らを称して「勝ち組」と持ち上げ、多くの若者を失意の底に落としたのがマスコミでした。マスコミは彼らの実体を知りながら、提灯記事を書き、増長させる一因ともなります。

 六本木ヒルズ

 松本弘樹「共生者」のまえがきを引用します。
 80年代のバブル崩壊から現在に至る20年間、証券業界の裏側では、中江滋樹が率いた「投資ジャーナル」グループの残党に始まり、先ごろ解散した「日本ベンチャー協議会」に至るまで、株価操縦的な手口で仲間内の富を拡大させていく錬金術人脈が、連綿といじされてきた。暴力団が株式市場から莫大な資金を得られるようになったのは、こうした人脈の少なくない部分を「共生者」として取り込んでいるからなのだ。
 この著作で金融アウトローの90年代を描き出しています。ソフトバンクの成長の内幕やITバブルの知られざる事実や、詐欺的な手口が説明されています。ITバブルとはベンチャーが作り出した相場ではなく、仕手筋相場であったことが明らかにされています。そこで活躍しているのが、5億円の落し物事件で話題になった加藤ロと並ぶ西田晴夫であったそうです。

西田晴夫
 彼らの多くが、上場で得た資金をベースにした金融会社に変質していきます。その意味では、初めからファンドとして名乗り上げた元通産官僚の村上世彰が率いる村上ファンドの方が、まだ分かりやすいかもしれません。 村上ファンドも当初は株主の意見を会社経営に反映させる理想を掲げての出発でしたが、有名になり膨大な資金が集まり、その動きがウオッチングされ始めると、威力を喪い、無理な収益を求めての行動が、塀の内側に落ちる結果になりました。

      
ホリエモンこと堀江社長             村上世彰代表          楽天三木谷社長

 マザーズに何が起きていくのかをまとめた表がありましたので参考に掲げておきます。孫正義氏によって鳴り物入りで開設されたナスダック・ジャパンも、わずか2年後に撤退という形で、孫らしい幕の引き方をしました。その後のベンチャー市場の迷走は無惨なものでした。

松本弘樹「金融不況のからくり」

 この時代、エスニック・タウン化していた六本木界隈が俄かに胡散臭い影が覆い始めます。80年代から世間にある種、受け容れられ、広がっていった変態的な嗜好が、鬼畜で描いた世界から、なお、一層の深みに嵌まり込んで行く形が、どうやらあったのか、あるいはそれが今でもより深くなっているのかは分からないのですが、異様に深い闇の部分が出てくるのも、虚業家が溢れ、暴力団のマネー・ロンダリングの舞台にベンチャー企業が使われたことと深く係っているのでしょう。何人かの写真家が彼らの生態を写真に収めています。
 一部は暴露され、 ベンチャー企業の社長の一人は企業舎弟だったことが明らかにされます。しかし、それでも一掃されることは無く、暴走族のOBを中心に結成され、六本木を縄張りとする関東連合は、2010年に朝青龍事件、市川海老蔵事件のようなスポーツや芸能のトップ・レベルとのトラブルにまで及んでいくことになります。


ナックルズ極ベスト噂の真相Vol2  2012.11.25発行