不況の中で自民党政権、特に小渕内閣の時に、景気浮揚のために総額430兆円ともいわれる公共事業を投入します。金融不安から郵便局に殺到した預金を使った公共投資です。地方で地域とかけ離れた施設が建設され始めます。この下の写真は代表的なものとは言えないかもしれませんが、いかにもバブルぽい建物なので掲載しました。
 
山形駅とつながる霞城セントラル
(2001年オープン)                  新潟港にある朱鷺メッセ(2003年オープン)

しかし、景気はピクリともしません。カンフル剤を少しでも弱めると奈落の底に落ちていくような感覚すら生まれてきました。不況の深化から、
物・サービスが売れない。今までの不況とは明らかに違っていました。ニッチもサッチも行かなくなる中で、企業は低価格路線に踏み出し、デフレに突入します。敗戦後、初めての経験です。
まず、資産がらみの暴落、土地、家、マンション、ゴルフ会員権、美術品などは、恐ろしいほど暴落します。最盛期の1/10になったものすら生まれます。次いで原料・資材関係も円高を背景に下がります。そして最後に消費財・サービス価格のディスカウントが始まります。

デ フ レ 突 入


果敢な価格への挑戦が始まります。ディスカウント戦争が始まります。衣料品では、代表選手がユニクロが業界を主導します。雑貨では、ドン・キホーテ、いわゆるドンキ。

   

100円ショップのダイソーが一斉風靡するのも、この時代です。


食の分野では屋台ブームがあり、それに続いてファスト・フード・チェーンによる強烈な価格の値下げがあります。マクドナルドであり、ほっかほっか亭であり、松屋・吉野家です。
  最安値の59円バーガー

 250円牛丼に並ぶ


そしてファミリーレストランの雄、すかいらーくによる創業当初の値段に戻すという一大キャンペーンがあり、低価格業態のガストへの切り替えが始まります。1000円を超えた客単価が、一挙に600円台に急降下します。
 

弱肉強食の激しい競争が繰り広げられ、後続チェーンがブッチギられます。

デフレは急激に進行していきます。もはや
下がるのが当たり前。以前の上がるのが当たり前から時代は大転換します。

リサイクルが何の抵抗もなく受け入れられます。ブランド品のリサイクルショップが花盛り。各地に大型のアウトレット・モールが建設されていきます。ここでもお手本はアメリカでした。また、素人が出展するフリーマーケットも、日曜祭日になると、あちこちの公園で、いろいろな団体が主催して開催されます。

御殿場アウトレットモール

フリーマーケット

消費者に喜ばれたデフレでしたが、経済誌は深刻に「悪性デフレ」と喧伝し、流通業の混迷・破綻の元凶とされました。デフレは経営を立て直したい多くの企業群にとって収益率の悪化・低迷は、ますます不良債権の処理を遅らせるものであり、大手の独占的な価格支配に抗すべくもない中小小売店にとって悪夢のものでもあったのです。デフレの終息は、2003年頃からようやく収まっては来るのですが、2006年になったも、いまだに訪れてはいないのです。

金券ショップの爆発的成長と停滞
 バブル崩壊以前から、じわじわと成長していた金券ショップが、不況に突入して以降、安いチケットを求めて爆発的に全国に広がっていきます。出張旅費を浮かそうというサラリーマンが殺到したのです。これに苦りきったのは正規の料金で販売している旅行代理店であり、輸送サービスを行っている航空会社などです。航空会社は競争の激化もあって、強烈なディスカウント、各種の割引を作り出し、金券ショップの割引を無効果を図り、航空券に関してはほぼ取扱ってはいるけれど、利用度は著しく下がりました。このため群生した金券ショップの多くが大手を除くと廃業していくことになりました。


リサイクル・ショップ、質屋の成長
 リサイクルで最初に注目されたのは、ブランド・ブームから、ブランド品のリサイクルでした。ブランド品が好きな人は、ある種、夢中になってコレクションする傾向が強くあり、不必要なものが溜まりやすい、気に入らない、飽きた、流行からずれたなどの理由で、売りたいというニーズを強く持っていたし、買う方もブランド品を身に付けたいが高価過ぎるから、安ければ買っても良いという、需要と供給の両面が揃っていたことが成功の要因になります。名古屋発のコメ兵が最大手ではないかと思います。
 買取に際しては、ブランドを鑑定して偽物かどうかを判断する必要があり、それも注目され、TV番組でも何度か取り上げられ、芸能人が持ち込むブランド品の鑑定などを行う職業が注目されます。


 一種の中古品ブームが起きてきて、ビンテージものという、ジーンズ、革ジャン、スニーカーなど、古物の方が新品より高いものも現れるなど、新しい価値を見出す形も出てきます。私は欧米のブームだと思っていましたが、日本発の新たな価値作りの流れがアメリカに飛び火して、廃坑となった鉱山や廃墟と化した工場などに戦前や戦中の古いジーンズを探すデニムハンターを生み出すという大きな影響を生み出します。ボロボロの擦り切れたジーンズに数百万円という値段がつくものまで現れる始末です。古着のブームから東京高円寺かいわいに大量の古着店が出現したりします。

 骨董品ブームも起き、骨董市をめぐる若者そして老人たちが増えていきます。ここには本当に貧乏で手持ちの物を売るという感覚もなければ、ともかく安い物を求めるという要素が酷く少ないのが、この時代を象徴するものです。

屋台村/モツ鍋ブーム/焼酎ブーム
 バブル時代の熱狂から冷めてくると、世の中はケチに、以前には考えられないようなみすぼらしいものがブームになっていきました。屋台村がその例の一つです。この画像は地方ですが、ブーム自体は大都市から始まって地方に広まったものです。既に大都市の屋台村は姿を消しており、地方でも消えてきています。この画像自体は私が作っています「商人と商業の世界」「屋台」からもってきたものです。
釧路港屋台村 山形屋台村 ほっとなる横丁
 屋台村のブームと同じような時期に、博多の名物料理である「もつ鍋」が全国的なブームになります。これもまぁ、値段が安くてボリュームがあるという理由だからでしょう。同じように焼酎もブームになっていきます。バブル時代では考えられないような世間の変わりようです。ブームに乗って大手メーカーが参入しました。安いものしか売れないという時代がやってきました。

 デフレの進行は、より安くへと突き進み、立ち食いのブームもやってきます。最初は立ち呑み屋、立ち食いの寿司屋、ステーキ屋も登場します。居酒屋ではおしゃれじゃないと、気軽に洋酒を飲むショットバーが流行し、ハイボールなんていう、それこそ半世紀前に流行した飲み物が流行し、サントリー辺りはウイスキーブームが起きたと大喜びしていました。確かその頃でしょうか、フレンチ屋台まで出現してきました。もうここらがデフレの最終局面でもあり、デフレ疲れが消費に現れるようになります。フレンチの屋台は話題にはなりましたが、寿命は短かったです。

立ち呑み屋の日本再生酒場                             立ち食いステーキのいきなりステーキ

立ち食い寿司                              ショットバー

井川遥 サントリーウイスキー角瓶『いらっしゃいませ』篇 30秒 角ハイボールCM
 激辛ブームなんてのも、ある意味ではこの時代だからこそというべきかもしれませんねぇ。韓国モノ、キムチとかそういうものとか、四川料理だとか、タイ料理もありました。エスニックという80年代の流行が激辛に結びつくのも、旨みを感じることよりも、ただ刺激の強いものを要求し、ただただ真っ赤の料理に若い者は列を作りました。

蒙古タンメン中本                            坦坦麺
 不景気のなせるもののような気がします。女性のスカートは不景気が浸透してもあまり変わりませんでしたが。

 こんなことを書いていて思い出したのですが、床屋のディスカウント、1000円カットが大流行して、既存の床屋が非常に多く廃業に追い込まれていきました。
1000円カットのQBハウス