金ピカの時代〜グリーンの夢:ゴルフ〜



 80年代に入るとゴルフの大衆化が一層進みます。それこそ商店主から、農民、漁民、やくざ屋さんまでもが大挙してゴルフ場に押し寄せてきます。 バブル時代に顕著なことは、これにOL、女子大生が加わったことです。ゴルフバックをかついだ女性の姿がよく見られたのも、バブルの頃です。
月刊レジャー産業資料1992.2
 上記の予測値をみると、2000年のゴルフ人口(ゴルファー)は17百万人です。5年ごとに百万人づつ増えるといっているのです。こうなるとゴルフ場の予約を取るのが大変になって、しばしば車で2時間、3時間かけて遠隔地のゴルフ場に行くことになる。プレーする時間と往復時間がどっこいどっこいなんていう喜劇が生まれる。
 接待を含めると、営業マンならば週に3、4回ゴルフ場に行くのは当り前のような状況になる。接待される側も、それが当り前でした。プレー代も最低で3万円、5,6万円が普通だったのではないでしょうか。接待なら食事代、飲み代を含める(ゴルフの帰りにバーなどで遊ぶ)と、軽く一人当り10〜20万円かかる、そういうバブリーの時代です。中には都心部からヘリコプターでゴルフ場まで飛んでいくことも相当にあったそうです。バブルの紳士の多くが自家用のヘリコプターを所有し、乗り回し、仕事以外にもゴルフに、食事に日本中を飛び回り、それこそ莫大な金が費消されたのです。

 空前のゴルフブームはゴルフ練習場にも波及します。土地が高騰していて場所も確保できませんから、コンピュータ画像を使った練習場(スクリーンゴルフ)も、盛んに生まれました。いながらにして世界のゴルフ場の光景の中でプレイできるので評判になりました。下の画像は最近の韓国の3画面タイプのものです。

 ゴルフ練習場もハイテクが取り入れられ、集客をします。



 この空前のゴルフブームは、投機の時代にふれる会員権相場に大きな影響を与えます。小金井CCを始め、日本オープンが開催されるゴルフ場でプレイすることが、自慢話になる。職場の話題はゴルフ談義であり、その場に加われない人間は、疎外される状況になる。
 このゴルフ・ブームを受けて、リゾート開発とあいまった形でゴルフ場が猛烈な勢いでオープンしていきます。投機のところで述べるゴルフ会員権詐欺も横行します。猛烈なゴルフ場開設は無茶苦茶な森林伐採と、除草剤の大量配布を行ったことから、環境団体や地域住民などから激しい反発が起こります。しかし、そんなことでめげる様な業者はバブルの頃には存在しません。山は削り取られ、上空から見ると、継はぎだらけの山野と化していったのです。この第三次ゴルフ場ブームの問題をレポートした学生さんの論文をリンクしておきます。

 プロの世界では青木功の全盛時代です。その後をつなぐのは岡本綾子です。この2人のメジャー大会への挑戦は、新聞の一面を飾る出来事だったのです。

   
    青木功                    左はニクラウス                          岡本綾子

 海外でゴルフを楽しむことも多く、気軽に行ける韓国や台湾に忘年会を兼ねてゴルフ・ツアーが行われました。また、国内でも非常に贅沢なゴルフ場が作られます。ビックライザックカントリー倶楽部はその代表的なものといえるかもしれません。
 
ビックライザックカントリー倶楽部

 「泥酔論説委員の日経の読み方」に本間ゴルフの話が書いてありました。あぁ。そういえばそうだったなぁ・・と思い出したので、泥酔さんの文章をそのまま掲載します。なお、この文章は本間ゴルフが中国系企業の傘下に入ったという記事からです。
 『バブル時の「本間ゴルフ」と言えば、飛ぶ鳥を落とす勢いだったことが思い出されます。本間のゴルフクラブは高嶺の花で、フィーを打数で割って得しているようなヘッポコゴルファーの泥酔なんぞ到底手を出せるような代物じゃあありませんでした。本間の直営店はまるで名門コースのように敷居が高すぎて、店内に入るだけで緊張したものです。
 ところがバブル崩壊後しばらくして、そのお店でもバーゲンとか格安の商品を扱うようになります。彼らの経営がおかしくなり始めた頃と軌を一にしており、なるほどそういうものかと思った次第です。
』2010年2月24日