女にもてるには〜車〜

モーター・スポーツ・ブームとバブルの金余りによって、大型車の販売量が急拡大していきます。2000CC以上の乗用車の販売台数は、86年の8万台から、91年には66万台に、実に8倍に膨れ上がっていきます。 フェラーリやロールスロイス、ベントレーなどの高級輸入車、トヨタ・ソアラ、日産・シーマなどの国産高級車への人気集中(「シーマ現象」と称された)します。
日産シーマ2001年モデル

 輸入車を乗り回すことが大いに流行ることになります。ヨーロッパ車が大部分を占め、ベンツやBMW、ポルシェが、それこそいくらでもありました。中でもイタリアの車はデザインそして格好良さから大変人気が出ます。東京都心や大阪市内などの大都市の道路でポルシェやジャガー、メルセデス・ベンツ(ケーニッヒやキャラットコンプリートなどのチューン版も多かった)などが走っているのが全く日常の光景の一部となり、フェラーリやランボルギーニ等のロードゴーイングカーや更にマセラティも走っていることでさえ特に珍しい存在ではなくなったのはこの頃以降のことです。
ベンツ560SEC
画像はバブルの遺産から

 これらの背景には、マイホームのために貯金をしていた世帯が、土地価格の急激な上昇のためマイホーム取得を諦め、マイカー取得や旅行、消費に走ったことが原因として挙げられています。

 林真理子の小説「アッコちゃんの時代」に『ベントレーが売れまくっているし、ベンツのCクラスなどは港区のマークUと馬鹿にされている。この頃、ちょっとおしゃれな者は、メルセデスの4WDを都会で走らせる」という言葉が出てきます。当時の車の世界について「根拠なき熱狂」のブログから一部を転載します。

 1989年、ロールス社は歴史上初めて年間生産台数が3000台を超える(3254台)。1990年には、ついに、「ベントレー」の年間生産台数が「ロールス・ロイス」を上回り、更に大掛かりな改良が行われ、シリーズ2へ進化、ベントレー全盛期を迎える。90年当時の新車価格は、
  ベントレーターボR  3100万円(税別)
  ベントレーラーボRL 3400万円(税別)

 89年から91年のバブル全盛期、、多くのベントレーが輸入されます。
90年のベントレーの登録車種

 1990年にはロールス・ロイスの全生産台数の約3分の1強が日本で販売されますが、その後バブル景気が崩壊し、これらのロールス・ロイスが持ち主の手から離れたために、日本におけるロールス・ロイスやベントレーの中古車市場が大暴落し、その結果、これらの多くが1990年代中盤に海外に買い取られていきました。(この稿、Wikipedia バブル景気から引用。一部修正)

フェラーリ


 特にフェラーリの人気は高く、赤のフェラーリに販売価格4500万円が、2億5千万円の高値がつく異常人気になります。何年か前のナイキと同じ現象ですが、この金額の桁はバブル時代の億円が何でもない価格に見える凄みがあります。
アルファ・ロメオ

 当時、田舎から出てきた子が、東京に高級外車が溢れているのに驚く話もありました。 この大ブームのからくりについて原宏之「バブル文化論」の中で学生向けに当時、クレジット販売をヤナセなど高級外車を販売していたディーラーが積極的にキャンペーンを張っていたことに触れています。在学中は月々1万円程度の支払いで、就職年度から3倍、4倍に引き上げる出世払い方式で、「Step」と題した学生向けにワーゲン・ゴルフ(標準価格188万円)を売りまくり、87年の半年で60人の学生が購入したと書いています。当時のデートはドライブが第1位であり、車がなければ恋人候補にもなれない、アッシー君にもなれない惨状であったのです。

 バブル時代の車の話題には、ホンダNSXの話題は欠かせないというので、掲載します。ここらもひどく疎いのですいません。Wikiから『第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表、翌1990年から2005年までの15年間の長きにわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造され、2006年まで販売がなされた。価格は販売当初は1グレードのみの800万円で、当時の日本のメーカーの乗用車の中では最高額だった。』排気量3000ccのミッドシップエンジン、軽量オールアルミニウム製ボディ、パワーステアリング、オートマチック・トランスミッション、電動シートを装備した国産初のスーパーカーで、発表から人気が殺到し、納車数年待ち。中古車に1900万円の値段が付いたそうです。
ホンダNSX