夢の邸宅住まい〜家〜

収入の増加は、家の問題、住んでいる場所の問題にも発展していきます。東京で一番高いマンションは、麻布にあった24億円。一棟まるごと買えそうな値段ですが、凄まじいものです。しかし、あり余る金は、夢の住宅、夢の邸宅へと希望も、欲望も膨らんでいきます。

都市環境デザインに携わっていた人達が、バブル時代の都市環境について語っているページがありましたので、参考までに。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/semina/s9607/index.htm#M004
そこに記されていたバブル時代の都市開発の代表的な事例がバルコリーヌ南大沢があります。下の写真です。このテーマパークを思わせるような景観こそが、バブル時代を象徴するものです。

 
多摩ニュータウンに建設された多摩センターはギリシアのパルテノン宮殿を模したような景観です。 多摩センター
写真は百瀬俊哉
 そして、バブル時代の代表的な土地開発といえば、チバリーヒルズと一名つけられたワンハンドレット・ヒルズ。分譲価格5億から15億。超高級住宅地が作られます。一説には光熱費だけで月に30万円と。
東急不動産のHPから

都築響一「バブルの肖像」から

 チバリーヒルズの顛末は、以下の抗議文が象徴しています。さらには家を手放す者も増えたため、一時はゴーストタウンの雰囲気をかもし出す場所となってしまった。その後、暴走族などが勝手に入り込んで暴れまわるといった事態も発生したため、遂には住民以外は進入禁止になった。その経緯から、バブル経済の負の遺産の象徴として取り上げられることも多い。

<開発者である東急不動産を抗議するページから>

 東急不動産は千葉の恥、バブルの象徴と呼ばれるチバリーヒルズ(千葉リーヒルズ、ワンハンドレッドヒルズONE HUNDRED HILLS)の売主である。東急不動産がバブルの波に乗って、千葉市緑区あすみが丘に作った幻の高級住宅街である。チバリーヒルズは勿論、ロスアンジェルス近郊のビバリーヒルズをもじったもの。

 バブル期の1989年に一軒5億〜15億円もする超高級の土地付き一戸建て住宅(土地が500-1000坪、延べ床面積130-150坪)が売り出された。60戸の計画だったが、建ったのは49戸で、売れたのは24戸のみであった。都心に遠過ぎること、バブル期とはいえ、あまりに価格が高過ぎたことが、その理由である。バブル崩壊でますます売れず、残りの住宅着工もストップし、売り出しPRもしていない。廃墟、超高級ゴーストタウン、バブル遺跡とまで呼ぶ人もいる。
チバリーヒルズへの行き方はJR外房線土気駅(トケ)で下車し、千葉中央バス「あすみが丘南」行きに乗り、「創造の杜」バス停で下車する。主のいない豪邸の前で門番が所在なさげに立っている。ローンが払えず金融機関に差し押さえられた邸宅、競売にかけられた邸宅もある。入居中なのは数戸で、多くは別荘や会社の保養施設になっている(「チバリーヒルズ」朝日新聞2000年1月23日)。
しばらく「For Sale」の看板が立ち並んでいたが、売却の目処が立たないためか、今ではその看板も取り外された。たまに冷やかしの見学者が訪れるのか、「家の見学はお断りします」の看板が目立つ。人の住まない家の哀れさで、雑草が生い茂っている。東急リバブル住宅営業本部は「買い替えを望んでいる人もいるが、取引は一件も成立しません」と話す(「チバリーヒルズ 住宅悪環境に出口なし」産経新聞1995年7月28日)。
 何もかも人工的な自然がヤラセのようで、公園や歩道、コミュニティーデザインは気味悪い。その仕掛けに住民が従って、人が集まるコミュニティーができているならともかく、人っ子一人いないような場所も多くみられ、人工的な自然の廃墟化には酷いものがある。 東急不動産は2000年春から売れ残り物件を、バブル期の約三割程度の価格に大幅値下げして販売を再開した(「「郊外居住の復権目指す」 高級住宅街に法政大が開校」朝日新聞2000年4月14日)。
 同社は「現在の市場の適正価格とした」と説明する(「「ワンハンドレッドヒルズ」、大幅値下げし再販売」朝日新聞2000年4月07日)。原価でも売れない悲惨な物件の象徴であることは間違いない。

 1997年5月末には、警備態勢に不満を抱く住民2人と法人2社が東急不動産を相手に売買代金の一部返還を求める訴えを東京地裁に起こした。
 千葉リーヒルズ研究会というのがHPでありましたが、2000年が最後の更新になっていますから、さて。

ショートケーキ・ハウスの出現
 バブルが膨れ上がっていく80年代末から、パステルカラーのモルタル外壁に、窓枠を白い枠で囲い、出窓のある、俗にショートケーキ・ハウスと呼ばれる住宅群が郊外に出現していきました。これらは清里を代表とするペンションに酷似した「かわいい」をベースにしたものでありました。80年前後に出現した「かわいい革命」がとうとう住宅にまで達した瞬間でした。この流れが一番上のテーマパークのような、無国籍の住宅群として出現したのです。

 この下のカラー写真は私の家の近所の家群です。それらしき家を撮ったもので、様式は分かりません。 この中で最も印象が濃いのは左下の家で、丁度、バブルが崩壊してすぐくらいに完成した家で、家の間の芝生には陶器製の、幼児向けの公園にあるような人形類は置いてあるは、門にはどういう訳か、赤い丸い玉がくっついているわで、庭に突き出た2階の円形のベランダなんぞからはシンデレラ姫でも顔をのぞかせようという取り合わせでした。
 噂では、女性漫画家の住居とか言われていまして、よほどメルヘンチックなものでも描いていたんでしょうか。 10年くらい住んだ後、一般人が住むようになって、庭にあった人形類を始めとして、パステルカラーであったものは白く塗り替えられたのです。



 
それは家の内装ばかりでなく、外装にまで、かわいい「もの」が出窓や門に埋め尽くされていきます。 下の写真はやはり私の家の近所でして、家の壁、出窓、門、垣根に、これでもかっていう調子の可愛いモノを配置し、季節ごとに模様替え。 12月には、電飾が張り巡らされ、実にまぁ器用っていうか、暇というか、とにもかくにも大変な手間をかけ続けていていました。
 これが徹底的に旦那さん、40位の人の趣味で、娘が中学生が二人いたんですが、奥方は、旦那の趣味にはまったくの興味なし。 好きにすればぁ・・・の世界のようでした。喜ぶのは家の前を通る子供らだけ。7,8年くらいやっていましたが、最近、止まりました。 現在では薄汚れ、箱の中にいた小人の人形類も倒れ、写真では分からなくなっています


 これらは80年代に隆盛を極めた清里のペンションが東京の郊外に移転してきた観がありました。 その頃、清里自体はそろそろ衰微していく時期にさしかかっているのですから、清里がリゾート地を離れて都市に向って動き始めていたのかもしれません。
東京スタディーズ、若林幹夫「郊外を生きるということ」

 住宅まではびこった可愛い趣味も、さすがに終わりのようです。清里も、すっかり様変わり。高齢者の行楽地と成ったようですし、80年前後の大塚英志氏のいうカワイイ革命もさすがに息が切れてきたようです。