進化するオタク世界

 バブルとオタクというのは、時代が重なり合いながら、どのような関係を有していたのか、分からないのです。 ただ、バブルが頂点に達した後の、崩壊していく中で、異常な活況を示したマーケットであったことは確かです。 特に97年以前の、90年から95、96年に懸けての盛り上がりは凄いものがありました。 ただ、オタクという言葉自体は89年の宮崎勤による幼女連続殺人によって、<色白、小太り、銀縁メガネ、不潔な長髪>がオタクの外見的な特徴として貶められ、世間的には胡散臭い、揶揄される存在になっていました。 それが払拭されはしませんでしたが、世間的に認められる頃には、オタク終了宣言がオタクキングこと岡田斗司夫さんによってなされることになります。
 
 1980年代以降ゲーム機市場を独占していた任天堂に対して、満を持していたかのように、ソニーが1994年12月 プレイステーション(Play Station)を発売し、約1年半後に発売したNINTENDO64等と市場競争を繰り広げ、最終的に主導権を握ります。 この成功で、ソニーはゲーム機世代の第2世代を、年数にして10年以上、全世界において絶対的覇権を握ることになります。 この成功には、スーパーファミコンから、日本を代表するRPGシリーズであるドラゴンクエスト』シリーズ(86年スタート)、ファイナルファンタジー』シリーズ(87年スタート)がプレイステーションに移植できたことが、大きな力になっています。

黒田硫黄「茄子」                     宮台真司「終わりなき日常を生きろ
 シリーズは次々と新たなゲームを市場に投入していき、それを待ち受ける子供達が、それを買おうと、発売日前日から列をなし、都会の家電店は異様なムードに包まれました。RPGゲームとしては、96年には『ポケットモンスター(ポケモン)』が始まります。


 市場という意味では、一つはファミコンというハードの開発と革新、一つは優れたRPGゲームというソフトの開発、そして最後はガンダムから、次の新たなキャラクター、美少女戦士セーラームーン、そして続く新世紀エヴァンゲリオンと、大きな波が次々と繰り出されていきます。こう並べてみると、オタク達や子供達にとっての素晴らしき時代であったことが分かります。それは同時に、日本のハード、ソフトのメーカーが、この分野における全世界のマーケットをリードし、制覇し、やがてオタクが日本を見習うように先進国を中心に生れてくることになります。
 拡大するマーケットは大型のショップを生み出し、全国に広がっていきました。

永沢まこと「東京人間図鑑」より。

美少女戦士セーラームーン) 1992年

 90年代少女漫画の金字塔と言われています。講談社の漫画雑誌『なかよし』に連載され、アニメ化され、単なる少女漫画・アニメの域を遥かに超えたブーム・社会現象となり、「美少女戦士物」というジャンルが生まれたとされています。「コードネームはセーラーV」は流行語にもなりました。その成功は、5人の美少女戦士達の活躍にあり、従来の魔法少女とは一線を画すものであったようです。
 まぁ、私の年のような人間には、さっぱり分からない世界なので、ご紹介だけに留めます。



(新世紀エヴァンゲリオン) 1995年

 実は、まぁ、知らんのですよ。アニメ世代ではないので。ただ、凄い評判であったのを憶えています。何だって若い者は、こんなに騒いでいるのかと。特に最終話の頃は、期待が異常に高まっていて、結末が多くのファンに失望を与えたようで、何だアレはという評価でした。何しろ私自身は、全然、分からないので、どう失望したのかも、よく分からないのですが。
 この一連の騒ぎは、エヴァンゲリオン現象と呼ばれ、あちこちで特集が組まれ、本も沢山出ましたし、映画の公開時の騒ぎも一段と激しいものでした(劇場版)。現在でも、考察、謎解きのHPが作られるほどです。もう十五年も経っているのに。ゲームもありました。
 主人公達の一人、綾波レイはエヴァンゲリオンについて何も知らない私のような人間でも、何かと評判になり、知っているくらいの存在になります。話の途中で悲惨な死を迎えたことが人気の大きな理由なんですかね? まぁ、このくらいエヴァンゲリオンについて知らないのですが。




綾波レイ
 膨大な量のゲームが生産され販売され、どうしようもなくひどいゲームも出てきて、それがクソゲーとして注目されたり、色気をゲームの中心においたエロゲーというジャンルが出てきたりと多様に展開していくことになりました。
 飯野賢治さんが亡くなられたので「Dの食卓」を貼っておきます。


 他にもサクラ大戦、甲殻機動隊など大ヒットアニメが作られる黄金時代がやってきます。

                           甲殻機動隊のオンライン版の発表会の仮画像

声優
 分からないのでWikiから。「1970年代中頃からの『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こったブーム。そのブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド『スラップスティック』を結成してライブ活動を行った他、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子戸田恵子神谷明水島裕スラップスティックの名が挙げられている。アイドル声優(または「声優アイドル」)という俗称が出てきてブームになったのは、声優の仕事が多岐に渡るようになった1990年代中頃からである。人気声優だった林原めぐみ三石琴乃久川綾國府田マリ子椎名へきるなどがアイドル声優の先駆けとなった」。

(オタク文明の形成)
 オタクが宮崎勤の事件などによって、強くマスコミなどから否定的に伝えられますが、次第に文化の第一線として認められるようになります。その最大の功績者はオタキングこと岡田斗司夫だったでしょう。また、唐沢俊一なおきの兄弟はト学会などを通じて、オタク的な世界を広げていくことになります。



2001年日本オタク大賞

 もう一つの強烈なブームは、たまごっちです。
 96年バンダイからたまごっちが販売されます。Wikiから、『画面の中に登場する「たまごっち」と呼ばれるキャラクターにえさを与えたり、糞掃除をしたり「たまごっち」と遊んだりしながら育てていく。こまめにコミュニケーションをとっていれば機嫌がいいが、えさをやり忘れたり、糞掃除が滞ったりすると機嫌が悪くなり最悪の場合には死ぬこともある。こうして育てていくと、ある程度時間が経てば「おやじっち」や「にょろっち」など様々なキャラクターに変身する。』。
 女子高生を中心に大ブームがきます。宮沢元首相が孫と原宿のキディランドで行列したとか、定価が1980円なのに金券ショップでは3万円とか、日本航空が利用客に三ヶ月間毎月3万個のプレゼントに百万人が応募したとか、たまごっち現象ともいわれた大ヒットは国内だけで2300万個、アメリカで800万個を始めとして2410万個が輸出され、内外合わせて5千万個、933億円を売上げたのです。しかし、盛り上がったブームは長続きせずに98年には下火になりますが、2004年に再ブームが訪れるなど、意外に長続きするゲームとなりました。

ネットから拾った画像です。 中の生き物は両方とも死んでます。
97年のおもちゃショー
 私ですか? ヤル訳ないじゃないですか。まぁ、大人でも、女でも、嵌ってましたなぁ。白黒のチャチな画像に、何で夢中になるのか? まぁ、経験者に聞いてください。

Windows95
 Wikiから『1995年8月25日に英語版が12か国で先行して発売され、日本語版の発売された1995年11月23日の秋葉原などでは深夜11月23日になった瞬間に販売を始める店が多く、業界関係者や報道陣を中心に一種のお祭り騒ぎの様相を呈した。この様子はテレビなどで報道され売り上げに貢献した。その後のWindowsの新バージョンの発売開始日はWindows 95の時ほどの賑わいは起こっていない。』まぁ、ある種、マイクロソフトの最後の輝きであった可能性があります。下の写真はWindows95を買うために並ぶ人達です。
 
別冊宝島「おかしいネット社会」から(1999年)

プリクラルーズソックス
 バブルが崩壊した後の女子中高生の定番というか、巷に溢れる姿がありました。プリクラ=プリント倶楽部の発売は95年。あの運命の97年にはピークがやってきます。女の子達にとっては友達の数を測るのか、ノートに埋め尽くされるプリクラのシールが大きな意味があったようです。そしてこの珍妙な靴下です。流行し始めた制服のミニスカートの下半身部分に、ルーズソックスをはくことでアクセントを出す、という目的で、ゆるめて履くことを目的とする靴下が流行していったようです。この流行のピークは96年から98年にかけてのことのようです。

日録二十世紀1997
  別冊宝島「超コギャル読本」
 彼女たちはコギャルと呼ばれました。専門の雑誌も現われ、そこでカリスマ的な人気が出た子達が現れますが、まぁ、それはごく若い方の世代の話で私らには無関係でしたが・・・。
別冊宝島「超コギャル読本」
 ブルセラや援助交際の流行の中で女子中高生に対する関心が異常に高かった時代の産物です。ここらは実際はオタクとは関係ない中高年のオッサンの世界でありまして、オタクはこの女子中高生の動きとはまったく別の二次元世界に投入していくのですが・・。まぁ、たまごっちやプリクラの話題のためにここに置いてあるだけです。

盛り場の女子高生達:宮台真司「世紀末の作法」

携帯文明への道
 携帯電話は「あぶく銭の膨張」A歓楽街でみたような、ごっつくで大きなタイプから急激に小型軽量化が進み液晶ディスプレイが装着される時代がやってきます。普及のスピードは凄まじいもので、ビジネス用から一挙に老若男女、高校生は勿論、小中学生にまで広がっていく。その中で携帯をオシャレに飾ろうという意識が強まり、数多くの装着品が現れてきます。下のストラップが代表的なもので、何個もぶら下げるのが流行し、やがて携帯電話だけではなく鞄やハンドバックなどにもストラップが何個も付くようになります。
別冊宝島「おかしいネット社会」から(1999年)
 流行というのは、しょうもないようで、あまりにも大きな物をぶら下げ過ぎて、少し飽きたようですが、また、少し戻っています。

アニメ店
 膨大なオタク需要は専門店を出現させます。最初は秋葉原周辺だけだったのですが、次第に全国に店を広げていきます。ここいら辺になると面白いけれどワケワカメの世界です。ですのでいったい何時ぐらいから店ができ、大型店にまでなるのか分かりませんし、業界的にアニメ店と言うようですが・・・。