金ピカの時代〜肉体の躍動:テニス〜


 何故、あの時代にテニスが非常に人気があるスポーツであったのか分からなくなっていますが、メジャー大会、ウインブルドン、全米、全豪、全仏はTV放映され、今のサッカーブームに近い人気がありました。 80年代前半、ビヨン・ボルグマッケンローという2大スターの死闘がテニスブームを盛り上げていったからでしょう。テニスに縁のなさそうなおばさん連中でも、夢中になってTVの試合中継を見、昼休みなどでおしゃべりの話題になっていました。
 バブル崩壊の時期には伊達公子がテニスブームの最後、というと叱られるでしょうが、スターダムに上り詰めていきます。伊達さんは96年、日本人としてシングルスのランキングで世界トップ10に入る快挙を成し遂げてリタイアするのですが、驚くべきことに15年以上のブランクを空けた2008年に再デビューするのです。これには驚きました。

ボルグ   マッケンロー

 テニスブームは、この時期に販売されたデカラケ、厚ラケが、素人プレイヤーに急に巧くなったような気にさせたことが、大きな影響があり、広く普及していったこともあるでしょう。ここらは、まったく知識も関心もなかった話を書いていたのでしたが、2012年、デカラケを最初に作ったプリンスが倒産したというのが新聞に掲載されていて、改めてプリンス社のデカラケというラケットブランドのリンクを貼っておきます。
 この記事にありますように、当時は「デカラケは初心者が使うもの。経験者が使うと、テニスが下手になる 」というのは、私も聞いたことがありました。一方では相当に馬鹿にされていたのが、記事にあるようにUSオープンで女子決勝でシュライバー選手が使ったのが切欠になって、セミプロの人達も多いに使うようになったのです。デカラケによってテニスの高速化時代が始まったとあります。
 以降、プリンスはグラファイトの使用やmore構造など斬新なラケットを作り出していくことになったそうです。

               ポパイ 87.5.10号

ポパイ 87.5.10号

 バブル期のテニスブームで覚えていることは、都内のテニスコートが予約で埋り、容易にはプレーできない状態になったことです。週末はもちろんのこと、平日でも予約が一杯であり、予約を持っているだけでデートができる、そんな時代でした。田園コロシアムが廃止され、有明コロシアムに移行する時期にも重なっています。企業が所有するテニスコートに関心が集まり、その伝手を持っているというだけで、もてた。
  
有明コロシアム

 このブームから、リゾート建設ではテニスコートが必ずと言って良いほど整備され、北海道のトマムでは、今は19面のテニスコートがあるようですが、計画段階では、桁が一つ違っていて、何だこれはという代物だったように記憶しています。

 こちらはサントリーカップに出場したレンドル、マック、ビランデル、ベッカーです。まぁ、今となっては誰?でしょうが・・・。